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呪われたノクトゥルス

「君は僕がいなくなったって泣かないよ」

 君が消えてから二十三日が過ぎた。そして誰も彼も君の事を忘れてしまった。二十日経ったらみんななかったことになるんだから仕方ない。
 けれど僕は君のことを覚えている。君が言ったように泣きはしなかったけど、君のことがまだ頭にある。

 きっと、あの日の君のせい。君が僕の首にかけた魔法のせい。


 ・・・ ・・・


「本、ってわかる?」
「知らない」
 首を振る君に僕の宝物を見せてやる。外の世界から来た人がこっそりくれたもの。君たちにも権利はある、と、複雑な顔で言ったお兄さんは、その後二度とここへは来なかった。
「大人も知らないことがここにいっぱい書いてあるよ。そらご覧」
「これ何?」
「文字。声・・・というより、音かな。いや、考えとか感覚とかって言うべきかな?まあ、それを形にしたようなものさ」
「・・・?」
 君は首をひねった。僕だって最近知ったばかりだし、その気持ちがよくわかる。
「こんなの見てて面白いの?」
「・・・面白いよ」
「ふうん」
 読めなくて正解かもね。

 僕が知ったのは、ここでこうして生きている僕たちには、『何かを残す』権利がないことだった。だから文字や絵を知らない。時間が来れば何もかも頭から抜けていく。
 でも、もっと重要なことがある。

「ねえ」
 僕はこんなところを離れる。外の世界へ行く。そうして普通のイキモノになる。
「なあに?」
「一つ魔法を試させてよ。この本で読んだんだ」
「?」
 君ともお別れだけど、それは嫌だから。ついでに僕に何か、希望を持たせて。
 そっと唇を君の首筋に寄せる。軽く触れた瞬間、君の身体がくすぐったそうに震えた。
「・・・?」
「どんな魔法かは秘密」
 怪訝な顔の君に人差し指を立ててみせる。
「もうすぐ君と会えなくなるんだ。もしまた会えたら、そのときに教えてあげるよ」
「なんで会えなくなるの?」
「それも秘密・・・でも、きっとさ」
 愛情さえも許されないなんて悲しいよね。ここにいる限り、誰かを愛することがあったってそのうち忘れてしまう。今君に僕の気持ちを話したところで君は覚えていてはくれないし、ここにいるままなら僕自身もこの気持ちを忘れてしまう。
「君は僕がいなくなったって泣かないよ」
 どうせそんなもの。
 でも、もし本で読んだとおりキスが特別なものなら、君は僕のことを忘れないままでいてくれるのかな?そんな期待を胸に抱き続けるよ。小さな希望だけど、何かすがるものがないと辛いだろう?
 それに、この狭い世界の中でも何かが残せるんだとしたら――。


 ・・・ ・・・


「君は僕がいなくなったって泣かないよ」

 君が消えてから五十二日が過ぎた。まだ僕は君のことを覚えている。どうして、どこへ行ってしまったのかわからない君のことを考えている。

 ずっと来ていなかったお兄さんが久しぶりに外の世界からやってきた。手には君の宝物。思わず小さく声を上げた僕に、お兄さんはその本を差し出して尋ねる。
「見覚えがある?」
 うなずくと、お兄さんは本を僕に渡してくれた。
「君は外へは来ちゃいけないよ」
「どうして?」
 お兄さんはどこか寂しそうに笑うだけで答えない。じっと見つめていると、妙なものを持つ外の人たちが大勢いる方を手で示した。
「音楽の許可が出たんだ。君も聴いておいで」
 なんだかよくわからないけど、新しい何かが来たらしい。お兄さんは君のことを話してくれそうにないからそっちに行くことにした。
 けど、その前に一つ聞きたいことを思いついた。
「あの、顔を首にくっつけるのって何の魔法ですか」
「顔を?」
「・・・口と、鼻かな?」
「ああ」
 お兄さんは一層寂しい顔をして答える。
「どっちかと言うと呪いかな。君たちにとっては」
「・・・?」
「まあ、そのうちわかるといいね。さ、音楽を聴いておいで。今日のは夜の曲だ」
「夜ってなんですか」
「・・・それもそのうちわかるよ」
 お兄さんに肩を掴まれ、体をくるりと音楽とやらの方に向けられた。わからないことだらけ。


 音楽って、いろんなものに歌わせることみたいだった。変なものは不思議な声で歌う。楽器というらしい。同じ楽器でも似たものもあれば違うものもある。それぞれにも名前がついてるらしいけど、そんな風にしてたら面倒だろうな、と思った。それから、楽器を歌わせてる人も歌えばいいのに、みんな歌わない。あれで楽しいのかな。
 夜のことはよくわからなかった。楽器の歌は言葉になってないから何を歌っているのかさっぱり。なんとなく、何か――わかるような、わからないような気がしたけれど。なんだか変な感じ。
 ほんの少し、君に似ている気がした。音楽が君に似ていたのか、夜が君に似ていたのか、どっちもなのか、それともまた別の何かなのか、僕にはまだわからない。
 いつかわかるときが来るのかな?

更新日:2019-10-26 22:18:46

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