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心因性アンテナ症候群

「エアリアル・シンドローム!」
「は?」
「英語にしてみた。かっこよくない?」
 キラキラと目を輝かせるお姉ちゃん。何が面白いのか私にはよくわからない。そんな風に茶化してる場合じゃないのに。

 お姉ちゃんはアンテナ症候群でおかしくなってしまった。少し前までは物静かで典型的な文学少女だったお姉ちゃんは、やけに活発になり、よくわからないことを言っては一人ではしゃぐ。これじゃまるっきりの別人。それを面白がってからかったり囃し立てたりする人のおかげで、アンテナ症候群だとわかる前にもう手遅れになってしまったのだ。

 お姉ちゃんはもう帰ってこない。

 お父さんは別にいい、と言っている。前までがおとなしすぎた、この方がハキハキしていていい、これで友達も増えるだろう、と。
 お母さんはよくわからない、と言っている。あまり顔を合わせたり話したりもしていなかったから、言うほど違うのか判断できない、一人の世界で楽しんでいるのは変わらないんだし、と。

 お姉ちゃんはこんなのじゃない。

「ねえ妹!姉はパフェが食べたいよ!チョコとイチゴとバナナと・・・半分こしよう!」
「そういうことしてる暇ないってば」
「えー姉の頼みぞ?姉が頼んでいるのだぞ?聞きたまえよ妹」
「やだよ。そもそもパフェはあんまり――」
「パフェいいじゃん。子熊っぽくて。子熊は甘えん坊なんだよ?」
「なんで熊が出てくるの?」
「パフェだからだよ」

 お姉ちゃんはここにはいない。

 人付き合いが苦手なお姉ちゃんには、友達らしい友達なんていなかった。だから誰もお姉ちゃんを心配してくれなかった。元のお姉ちゃんを探す人も、私以外にはいない。
「ねえ、本当に大丈夫?」
 誰だかわからない人が話しかけてくる。たぶん友達。お姉ちゃんのことで頭がいっぱいで、他のことが頭に入らない。
 でもいいや。誰かに聞いてほしいの。
「お姉ちゃんが」
「うん?」
「アンテナ症候群で、治らなくて」
「・・・きょうだい、いたっけ?アンテナって何?」
 ああ。
「ねえ、やっぱり一人でいないでうちにおいでよ。できることならなんでもするから」
「遠慮しておく」
 やっぱり、お姉ちゃんのこと考えてくれる人いないんだ。

 家に帰ると頭痛がひどい。今日は夕飯食べなくていいや。水だけでも飲もうと台所に行くと、蛇口からオタマジャクシがぽとりぽとり。これじゃあ何もできない。早く寝よう。

 ――オタマジャクシ?
 なんで私にそんなものが見えるの?


 アンテナ症候群。
 過剰受信と代謝的発信。
 吐き気がするほどの甘さ。
 無責任な銀色をしたワニ。
 一輪だけの梅の花。
 空から落ちてくる視線。
 歪んだ悪夢的な知覚。
 撒き散らされた紅葉。
 紺色を身に纏う夜。
 祝福のヴェールに包まれた朝。
 あちこちで宙を舞う雑誌のページ。
 願望と妄想を塗りたくった極彩色の現実と非現実。
 瓶詰めにされた青い――魚?

 何が何だかわからない。
 これは何?
 おかしいのは誰?
 どれが本当?
 私は誰?

「私の妹だよ」
 お姉ちゃんの声。

更新日:2019-12-06 21:46:16

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