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第三話・酒場場外大乱闘
那珂のライブ会場は、意外にも学校の体育館だった。
集まったのは地元民の老若男女。アイドルのライブと聞いて思い浮かべるような若い男性ファンもそれなりに居たが、それ以上にごく普通の一般人――特に老人と子供たち――が多いのが磯風たちにとっては意外だった。
「結構、楽しめたものだな」
公演後、磯風、浦風、浜風、谷風、そして初風の五人は、ライブを思い返しながら歓楽街へと繰り出していた。
「地元民から愛されとる感じじゃったね。ああやって民間人から声援を受けるというなぁ、ウチらみたいな秘密部隊にとっては羨ましいことじゃのぉ」
浦風は少し遠い目をしていた。命がけで戦っても誰にも知られないのが、彼女たち二水戦だった。
「しかし」と浜風も口を開いた。「那珂さんは私たちに言ってくれました。“那珂ちゃんがアイドルとして活動できるのは、二水戦のような部隊が戦い、支えてくれるからこそ”だと。……那珂さんは人格者ですね。こうして実際にお会いするまでは、アイドルごっこにうつつを抜かす頭の弱い方だと思っていました」
生真面目な顔でそう言った浜風に、谷風が顔を引きつらせた。
「浜風…、それ、褒めるにしても言い方ってもんがあるんでないかい?」
「どういう意味です?」
本人にまるで悪意は無いのだろう。きょとんとする浜風に、周囲の皆は苦笑を浮かべた。
そんな磯風たち四人から少し後ろを、初風が一人、会話の輪にも加わらずに付いて歩いていた。
磯風が、初風の様子を気にかけてわずかに後ろを振り返る。
互いに目が合うと、初風は、磯風に気を遣うように曖昧な微笑みを浮かべて見せた。その表情を見て、磯風は彼女に何と声をかけるべきか微かに迷った。
初風の隣にいつも居るはずの雪風の姿が、今は無かった。
雪風は用事があって来れなくなった。としか初風は説明してくれなかったし、磯風たちもそれ以上の事情を訊くのを躊躇わせる雰囲気を初風は纏っていた。
しかしそれでも同じ二水戦の仲間だ。ライブの間もどこか遠い目をしていた初風を放ってはおけず、皆で酒でも飲もうという事で、こうして歓楽街をうろついていた。
リゾートシーズンだけあって街の通りは観光客で混雑していた。どの店も客でいっぱいで騒がしく、落ち着いて飲めそうな店はなかなか見当たらない。
路地裏まで足を延ばし、ようやく店を開けたばかりでまだ客の居ないバーを見つけることができた。
店のマスターは、十代半ば過ぎ程度の外見の磯風たちを見て怪訝な顔をしたものの、特に身分証の提示を求めることもせずに注文をとった。
店内にはカウンター席と、テーブル席が数席、そしてビリヤード台とダーツが設置されていた。浦風が、浜風と谷風を誘ってダーツに興じている間、磯風はカウンター席でひとり飲む初風の隣に腰かけた。
「雪風と喧嘩でもしたのか?」
そう直球で切り込むと、初風はむすっとした顔でカクテルに口を付けた。
「放っといてよ」
「下世話な興味本位で訊いている訳じゃないさ。私たちは同じ二水戦の仲間だ。自棄酒に付き合わせてくれたっていいじゃないか?」
磯風は自分の手元にあるウィスキーグラスを持ち上げ、初風に向かって掲げて見せた。初風はそれを見て、少しため息を吐くと、同じようにカクテルグラスを掲げた。
二人のグラスが軽く触れあい、澄み切った音色が静かに鳴った。
初風はカクテルを一息に呷り、グラスを空にした。
「喧嘩した訳じゃないわよ」
「ふむ」
磯風がウィスキーをちびちびと舐めながら先を促すと、初風はぽつり、ぽつりと呟くように言葉を紡いだ。
「今日、二人で買い物しているときに、ユキの端末にメールが入ったの。多分、親御さんだと思う。あの子、それを見た途端に血相を変えて店から飛び出して行ってね……」
「………」
「……電話口で怒鳴り合ってた」
「怒鳴った? あの雪風が?」
磯風にとってもそれは意外な話だった。
磯風にとっての雪風にイメージは、どんな苦境にあっても平然といつも通りの笑顔を浮かべ、泰然自若とした態度を崩さぬ歴戦の戦士というものだった。
平素では初風に引っ張られている姿をよく見かけるが、それとて些事を初風に任せて本人は悠然と構えているように磯風には見えていたものだ。
その雪風が感情もあらわに声を荒げていたなどとは、磯風にはまるで想像もつかなかった。
「電話の相手は親か?」
「多分ね」
「……そうか」
家庭事情に複雑な問題を抱えている者は、二水戦では珍しくなかった。あの雪風も例にもれずその一人だったのだろう。そう思えば、磯風も納得できる気がしてきた。
同時に、初風と雪風の間に起きたことも何となく察することができた。
集まったのは地元民の老若男女。アイドルのライブと聞いて思い浮かべるような若い男性ファンもそれなりに居たが、それ以上にごく普通の一般人――特に老人と子供たち――が多いのが磯風たちにとっては意外だった。
「結構、楽しめたものだな」
公演後、磯風、浦風、浜風、谷風、そして初風の五人は、ライブを思い返しながら歓楽街へと繰り出していた。
「地元民から愛されとる感じじゃったね。ああやって民間人から声援を受けるというなぁ、ウチらみたいな秘密部隊にとっては羨ましいことじゃのぉ」
浦風は少し遠い目をしていた。命がけで戦っても誰にも知られないのが、彼女たち二水戦だった。
「しかし」と浜風も口を開いた。「那珂さんは私たちに言ってくれました。“那珂ちゃんがアイドルとして活動できるのは、二水戦のような部隊が戦い、支えてくれるからこそ”だと。……那珂さんは人格者ですね。こうして実際にお会いするまでは、アイドルごっこにうつつを抜かす頭の弱い方だと思っていました」
生真面目な顔でそう言った浜風に、谷風が顔を引きつらせた。
「浜風…、それ、褒めるにしても言い方ってもんがあるんでないかい?」
「どういう意味です?」
本人にまるで悪意は無いのだろう。きょとんとする浜風に、周囲の皆は苦笑を浮かべた。
そんな磯風たち四人から少し後ろを、初風が一人、会話の輪にも加わらずに付いて歩いていた。
磯風が、初風の様子を気にかけてわずかに後ろを振り返る。
互いに目が合うと、初風は、磯風に気を遣うように曖昧な微笑みを浮かべて見せた。その表情を見て、磯風は彼女に何と声をかけるべきか微かに迷った。
初風の隣にいつも居るはずの雪風の姿が、今は無かった。
雪風は用事があって来れなくなった。としか初風は説明してくれなかったし、磯風たちもそれ以上の事情を訊くのを躊躇わせる雰囲気を初風は纏っていた。
しかしそれでも同じ二水戦の仲間だ。ライブの間もどこか遠い目をしていた初風を放ってはおけず、皆で酒でも飲もうという事で、こうして歓楽街をうろついていた。
リゾートシーズンだけあって街の通りは観光客で混雑していた。どの店も客でいっぱいで騒がしく、落ち着いて飲めそうな店はなかなか見当たらない。
路地裏まで足を延ばし、ようやく店を開けたばかりでまだ客の居ないバーを見つけることができた。
店のマスターは、十代半ば過ぎ程度の外見の磯風たちを見て怪訝な顔をしたものの、特に身分証の提示を求めることもせずに注文をとった。
店内にはカウンター席と、テーブル席が数席、そしてビリヤード台とダーツが設置されていた。浦風が、浜風と谷風を誘ってダーツに興じている間、磯風はカウンター席でひとり飲む初風の隣に腰かけた。
「雪風と喧嘩でもしたのか?」
そう直球で切り込むと、初風はむすっとした顔でカクテルに口を付けた。
「放っといてよ」
「下世話な興味本位で訊いている訳じゃないさ。私たちは同じ二水戦の仲間だ。自棄酒に付き合わせてくれたっていいじゃないか?」
磯風は自分の手元にあるウィスキーグラスを持ち上げ、初風に向かって掲げて見せた。初風はそれを見て、少しため息を吐くと、同じようにカクテルグラスを掲げた。
二人のグラスが軽く触れあい、澄み切った音色が静かに鳴った。
初風はカクテルを一息に呷り、グラスを空にした。
「喧嘩した訳じゃないわよ」
「ふむ」
磯風がウィスキーをちびちびと舐めながら先を促すと、初風はぽつり、ぽつりと呟くように言葉を紡いだ。
「今日、二人で買い物しているときに、ユキの端末にメールが入ったの。多分、親御さんだと思う。あの子、それを見た途端に血相を変えて店から飛び出して行ってね……」
「………」
「……電話口で怒鳴り合ってた」
「怒鳴った? あの雪風が?」
磯風にとってもそれは意外な話だった。
磯風にとっての雪風にイメージは、どんな苦境にあっても平然といつも通りの笑顔を浮かべ、泰然自若とした態度を崩さぬ歴戦の戦士というものだった。
平素では初風に引っ張られている姿をよく見かけるが、それとて些事を初風に任せて本人は悠然と構えているように磯風には見えていたものだ。
その雪風が感情もあらわに声を荒げていたなどとは、磯風にはまるで想像もつかなかった。
「電話の相手は親か?」
「多分ね」
「……そうか」
家庭事情に複雑な問題を抱えている者は、二水戦では珍しくなかった。あの雪風も例にもれずその一人だったのだろう。そう思えば、磯風も納得できる気がしてきた。
同時に、初風と雪風の間に起きたことも何となく察することができた。
更新日:2020-04-19 19:28:03