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小説

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令和元年7月12日 18時15分 居酒屋「地平線」店内

 徳永清一郎が会社からの帰り道に新しい居酒屋を見つけたのは、今週の月曜日の帰り道のことである。
 それから四日間、清一郎は「金曜日の夜になったらこの店に行こう」ということだけを考えて、この一週間の業務にあたってきた。

 会社勤めをしていると、仕事に穴をあけずして外が明るい内に酒を飲む、という贅沢が出来るのは、自然とこの季節に限られる。
 裏を返せば、この季節であれば、沈んでいく夕陽を横目に一杯、という飲み方も出来るのである。思いを巡らせただけで、清一郎はわくわくした。
 店に入ると先客はいなかった。無理もない。清一郎が定時で退勤してから、まだ十五分しか経っていないのだ。
 こぢんまりした店で、清一郎より少し若いくらいの男が一人で切り盛りしているようだった。

 他でもないこの時のために一週間を捧げてきた自分を労うために、清一郎はビールを注文した。
 長居は無用である。深酒することも、つまみで腹を満たし過ぎることもなく、ほろ酔い気分で帰るくらいがちょうどいいのだ。
 どんなつまみを選ぼうか。ビールが来るまでの間、少しだけ迷うことにした。

 清一郎が自分の頭の中だけで妄想を膨らませていると、注文していたビールが来た。
 夏の始まりに喉を流れていくビールは気持ちが良い。どうせなら、もっと贅沢にこのひと時を過ごしたいと考えて、清一郎は注文を決めた。

「すみません、このおでんってどのくらいで出来ますか?」
「すぐお出しできますよ。いいですね、この時期に冷たいビールでおでん。最高の贅沢だ」

 店主は清一郎と話しながら、おでんを盛り付けていく。手さばきが器用なだけでなく、弁も立つ人だ、と清一郎は感心した。
 初めてこの店を訪れたにもかかわらず、もう何年も前から付き合っている友人のように話すことが出来る。居心地のいい店だ。
 一度と言わず、何度でも通おう。清一郎は小さく決心した。

 運ばれてきたおでんのはんぺんを箸で一口大に割って口に運ぶ。
 ふわふわした魚のすり身に濃い口醤油をメインとした甘辛い出汁が染み込む。ゆっくりと咀嚼して飲み込み、さらにビールを喉に流す。
 ああ、夏だ。清一郎は一人、誰にも聞こえないように小さく呟いたつもりであった。
 それを聞き逃さなかったのが、あの店主である。

「夏ですね。夏と言えば、ちょっとお兄さんに頼まれて欲しいものがありまして」

 店主はそういうと、店の奥から青い紙袋を持ってきた。中身を取り出して、清一郎に見せる。中には白いTシャツが入っていた。
 少し厚手の、上等な生地のTシャツであったが、清一郎は違和感を覚えた。
 ビールの酵母の匂いとも、おでんの出汁の匂いともつかないような臭いがしたのである。

 もっと、何か科学的に作られたもののような匂いが、清一郎の鼻に感じられた。
 店主に紙袋を渡されて、清一郎はそれがようやく香水の匂いだと察した。

更新日:2019-09-15 13:06:25