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平成17年11月19日 映画「名もなき道」公開

 清一郎は困惑していた。今日のゴールデンタイムでは「名もなき道」という映画が放映される。
 このタイミングにはどうしてもテレビをつけたくないと考えていたのだ。

 今から十四年前、二〇〇五年十一月に公開されたこの作品は大ヒットし、脚本は小劇場で活躍し始めていたエーテル神坂が担当した。
 彼はこの年の三月に「名もなき道」でボーン・シナリオ大賞という新人脚本賞を受賞しており、「初めて映像用に書いたものとは思えない名作」と評された。

 この作品で注目されたのは脚本家の彼だけではない。本作のヒロインを演じた女優も、脚本家と同じ劇団の出身であった。
 「朝顔」という少し変わった芸名の彼女も脚本家同様、映画に出演することなど初めてだったが、舞台で培った表現力と圧倒的な存在感を生かして、その年の各賞を総なめにしたのである。
 このことが当時の芸能界では一つの伝説となり、朝顔は「百年に一人の名優」と呼ばれた。

 これほどの名作を清一郎が見たくなかった理由は単純なものである。
 この脚本を書いたエーテル神坂はかつて盟友として演劇集団北極星で切磋琢磨し合っていた神坂英輝。
 そして、映像作品初出演にして主演し、日本映画界の伝説となった朝顔は、かつて自分の妻でありながら、たった三十二歳でこの世を去った綾子だったからである。

 かつての盟友が書いた物語の中で、今はもうこの世にいない最愛の妻が動く姿を見ることは、清一郎にとって自分の人生が一番楽しかった頃を思い出させる。
 それでも、清一郎は後悔された当日に一人で新宿の映画館を訪れたきり、この作品を二度と見ようとは思わなかった。

 清一郎がもう十四年も、盟友と妻が関わった映画を見ていない理由は、余りにも単純なものである。
 この映画が清一郎にとって、それまでの人生のほとんど全てを捧げてきたと言っても過言ではない演劇集団北極星を脱退するきっかけとなったからだ。

 その時の苦しい気持ちが蘇ってしまうのを恐れて、清一郎はそれから十四年近く、この映画のタイトルを見ただけで、背筋が凍りつくような気持ちになる。

更新日:2019-09-14 22:36:35