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小説

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令和元年7月13日 13時 伊澤日南子 自宅

 今から会えないか、と伊澤日南子(いざわひなこ)から電話がかかってきたのは、土曜日の昼のことであった。
 眼鏡屋で新しい眼鏡を作り終えたばかりの龍は、この後さして用事もないということで、日南子の家に向かった。

 伊澤日南子は付き合って五年目になる龍の恋人である。年は龍より四歳年上で、今年の十月には三十二歳になる。
 龍は早く彼女と結婚したいと考えていたが、それと同時に、収入が不安定な古本屋の仕事を続けながら日南子と暮らしていくことに不安があった。

 仕事は楽しいが、これで身を立てられているとは思わない。
 清一郎の収入も合わせて男二人の慎ましやかな生活を賄いながら、家にいる時間が長い自分が家事をして、初めてこの家は回っているのである。日南子と結婚したら、この生活を続けることは難しい。

 何よりも龍を不安にさせていたのは、蘭鋳椿偏屈堂の経営や自分の収入よりも、兄である清一郎の存在であった。
 兄を一人残して家を出ていくことが、龍にはどうしてもできなかった。
 姉が亡くなってからもう七年以上経つが、それ以来兄に女性の影は無い。
 四十歳を超えているとはいえ、清一郎が再婚を諦めてしまうには早いのではないかと、龍は前々から考えていた。

 化学メーカーの経理部で、派手さはないが堅実な仕事をしている。役職は課長。
 見た目も悪くないどころか、昔ながらの凛々しい「男前」という言葉が似合うような顔立ちで、年齢を経て渋みさえ感じさせる。
 男の龍から見ても悪くないと思うような人だ。
 真剣に結婚に向けて動き出せば、女性だって放っておかないだろう。

 そんな風に考えると、清一郎が姉を超えるような人と結婚して新しい人生を歩み始めるのを見届けるまでは、自分もこの家を出て行くことが出来ないように、龍は感じていたのである。

「龍くん、眼鏡無い方が絶対可愛いのに」

 テーブルの上に置かれた眼鏡屋の紙袋を目ざとく見つけて、日南子は寂しそうに言う。
 日南子は龍について、「可愛い」とよく表現するが、それが龍にとっては少し照れ臭かった。
 「愛す可き」なのだから悪い意味で言っているのではない、ということは分かっていたが、それでも、心をかき乱されるような恥ずかしさを覚えてしまう。

「眼鏡を作った方がええって、兄貴に言われまして。店番するにも不便やろって」
「仲が良いのね。流石、龍くんにお店を任せるだけあるわ」

 本当は兄が蘭鋳椿偏屈堂を継いだのをきっかけに仕事を辞めて、それ以来実質的な店の経営を任されていただけだったが、日南子に褒められると仕事のやりがいもある。

「言うても、そんなに店も繁盛してる訳やないんですよ。大体おじいちゃんとかおばあちゃんばっかりで、たまに若い人が来たと思ったら、漫画とエロ本ばっかり買っていく」

更新日:2019-09-09 00:05:51