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小説

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令和元年7月12日 20時30分 蘭鋳椿偏屈堂店内

「あの、クリーニング屋でしたら、うちの店を右手にして次の交差点まで出て、左に曲がったらすぐにある白とピンクの建物です。
藤原クリーニングって看板出てると思うんで」

「だから、あなたに洗ってもらわないと意味がないんです」

 先程から同じやり取りを繰り返して、利用したことも無い近所のクリーニング屋の説明だけがやたらうまくなった。
 今なら目を閉じたままでも藤原クリーニングに辿り着けそうだ、と、巻龍はくだらない考えを巡らせた。

 しかし、龍が今本当にしなければならないのは、何とかして目の前にいる女に事実を理解してもらうことである。
 ここはクリーニング屋ではなく古本屋であること。
 故に、洗濯物を受け取っても自分にはどうすることもできないこと。
 他のお客様の迷惑になるので、理解したらできる限り早く帰ってほしいということ。
 龍は一つずつ、女に説明して聞かせることにした。

「お姉さん、ごめんなさいね。うちの店、クリーニング屋じゃなくて本屋なんですよ。確かに『蘭鋳椿偏屈堂』って、ちょっと変な名前ですけど……」

 蘭鋳椿偏屈堂、というのは、この古本屋の名前である。
 二年前から経営に携わるようになった龍には、この一風変わった名前の理由などさっぱり分からなかったが、兄の祖父が終戦直後にこの街で古本屋を始めた頃から使っている名前だとは、兄から聞いていた。

「大丈夫です。ポロシャツなんて、ご家庭でも洗えるでしょ?」

 食い気味に言い返されて、龍は先程まで「話せば分かる」と信じて疑わなかった自分の愚かさを呪った。
 夏の始めだというのに一目で安物と分かる真っ赤なスカジャン。
 高校を卒業して久しく、何なら高校の卒業式を二度迎えられそうな年だというのにミニスカートのセーラー服。
 首にはフェイクレザーのチョーカー。太腿の肉がはみ出しそうな白い網タイツはお中元のハムを連想させる。

 気合いの入った上半身に対して、足元は百円ショップのタグが付いたままの樹脂製サンダル。
 極めつけは明らかに人間の髪の毛とは思えない輝きを放つ、クリームソーダみたいな色のツインテール。
 
 二つの毛束をまとめる紅白のリボンは差し詰めバニラアイスとチェリーのつもりだろうが、こんなイカれた格好の女とまともに話などできるわけがないのだ。
 お願いだから早く帰ってくれ。龍がそう考えている間に、女は次の言葉を繰り出してきた。

更新日:2019-08-09 01:29:16