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第五章

それからの一週間は夏葉にとってなかなか辛い試練だった。

ベッドに寝たきりで、体の痛みは徐々に退いてはゆくものの、目が見えないため自分で何かをすることができず、人に頼まなければならなかった。
だが弱い立場になった自分は、それでもちゃんと生きているということに不思議さを感じた。

見えないせいで、普段気が付かないいろいろな音が耳に入ってきた。
人の声、器具などを運ぶ音、窓の外から聞こえる車の音、小鳥の囀り、みんなそれぞれがちゃんと意味を持っているようで、音が生きているのだった。

食事は手探りでなんとか自分で食べられたが、見えないものを食べるということに、人間は口に入れる前に警戒し、また期待もするものだと解った。
そして味わってみて何であるかが解ったときの喜びがあった。

今まで働きづめで、普通の人間が感じることに麻痺していたらしかった。
体も相当疲れていたらしく、何時間も眠って気持ちよく目覚めることができた。
始めて体験する新鮮なセンセーションはいろいろなところにあり、夏葉はその感覚を楽しんでいた。

ただベッドに横たわりながら、時間がゆったりと流れてゆく中で、自分の新聞記者生活を思い出す余裕もあった。

記者になって五年目、夏葉は、有名な俳優の息子が薬物取引に関係していた事件の証拠写真をスクープして、新聞記者に与えられる最優秀賞を取ったのだ。
それ以来業界では名前も知れ渡り、仕事の数も多くなったが、増えたのは仕事だけではなかった。
スクープを狙わなければならない、続けて賞を取らなければならないというプレッシャーが激増し、事件を追いながらいつも自分が追いかけられている気がしていた。

思えば今までの自分の人生は檻に入れられた白ねずみだった。
与えられた回し車に乗ってただ走り続けて、そこから逃れられなかったのだ。

夏葉はいつも何かと戦ってきた。
悪と、不正と、権力と、矛盾と。

だがもしかしたら、戦っていた相手は自分自身で、本当の自分はもっと違うことを欲していたのかもしれない。
だとしたら、もうこれからは戦わなくてもよいのかもしれない。
いつも強くなくてもいいのかもしれない。
その選択を自分が望むようにしてもよいのではないかと思った。

病院で過ごす時間は、夏葉に、今までとは違った世界があるということに気づかせてくれた。

そのためか、検査の結果、角膜の損傷はかなり酷く、完全な回復は望めないと診断されたときも、意外と穏やかにそれを受け入れられたのだ。

だが現実問題として、これから先の生き方を考えなければならなかった。

視力はとても弱く、薄暗がりの中でぼんやり人が動いているのが解るぐらいだった。
そんなことで一人で暮らしてゆけるだろうか?
新聞記者としてはもう仕事はできないから、他の仕事を探すと言っても目暗らの人間に何ができるだろうか?
いつまでも病院に入院しているわけにもいかないし、どこかの施設に入るのが順当ではないだろうか?


更新日:2019-07-24 10:01:58

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人間模様・・・第二話 「ひとり道」