- 2 / 8 ページ
第二章
道が指定してきた二人の再会の場所は、ある身体障害者の施設だった。
やはり未だに病気で具合が悪いのだろうということは誰にでも察しがつくというものだった。
新設の建物らしく、明るく陽の射す待合室のソファーに腰掛けて、夏葉は待っていた。
ふと斜め右前に顔をあげると、向こうから車椅子に乗った一人の女性が自分の手で車輪を回しながら近づいてきた。
それが道であろうとは思ったが、昔の道の姿をその人に重ねることはできなかった。
もちろん子供から大人に変わっているのだから当たり前で、体も大きいし、顔かたちも髪型も違っていたからだ。
だがその目を見たら、今自分の前でニコニコと微笑みかけている女性が道であることに間違いはなかった。
「なっちゃん、よく来てくれたわね。
会えてよかったあ」
道はほっとしたように言った。
「全然変わっていないのね。この近くにコーヒーショップがあるのよ。そこでお話しましょう?」
戸惑っている夏葉に、道は30年の時の隔たりなど全くないように屈託なかった。
夏葉が道の車椅子を押して外へ出ると、
「久しぶりで会ったのに押してもらっちゃって悪いわね」
と道は前を見たまま言った。
「そんなこと何でもないわよ...みっちゃん、歩けないの?」
夏葉は道の背中を見ながら、やっとさっきから心の中でくすぶっていた問いを口にすることができた。
「ううん、歩けないわけじゃないの。足は悪くないのですもの。でも歩くと心臓に負担がかかるから車椅子で移動することになったのよ」
コーヒーショップは、施設の建物に隣接していて、二分もかからなかった。
中へ入ると、にこやかなウェイトレスが近づいてきて、窓際のテーブルから椅子をはずして車椅子のままで座れるようにしてくれた。
「私常連なの。指定席が決まっているのよ」
と道は囁いた。
「なっちゃんなににする?今日は私におごらせてね」
道はコーヒーを二つのほかにケーキも二つ頼んだ。
「さあ、これでゆっくり話ができるわね」
道の話は12年前のことに遡った。
12年前に道は心臓移植を受けたのだった。
臓器の提供者はなんと道の父親だった。
「父が突然事故で死んだのだけれど、父はもし自分が死んだら、自分の心臓を私に移植するようにと遺言してあったの。
父の心臓をもらって、私は元気になって普通の暮らしができるようになったのよ」
何も言葉なくただびっくりしている夏葉に道は笑いかけた。
「本当なのよ、私が元気いっぱいだった時の姿をなっちゃんに見てもらえなくて残念だわ」
そこへケーキとコーヒーが運ばれてきた。
生クリームのかかったおいしそうなケーキと湯気を立てた香りの良いコーヒーを見て、道は幸せそうな顔をした。
「ねえ、普通の暮らしってどういうことか解る?
朝目が覚める時に調子が悪くなくて、すぐに起き上がれるの。
外へ出かけていっても大丈夫で、お日様の中で歩いたり、駆けたり飛び跳ねたり。
母と食事をしながらや友達と会っているときに、お互いが何も心配しないで楽しい会話ができる。
私はそんなことが嬉しくて、本当に生きる喜びとはこういうことかって解ったのよ」
道はケーキを一口食べるために言葉を止めた。
「それから私は介護の資格を取ったの。
自分が元気になった分、そうでない人たちを少しでも助けてあげたいと思ったから。
そして今私のいる施設で働いてきたの。
体の不自由な人たちの世話をするのは大変なときもあったけれど、とてもやりがいがあって私は生きているという実感が持てた...」
夏葉には、道が楽しそうに同僚や患者と喋ったり、元気に動き回って働いている姿が目に浮かんで嬉しくなった。
だが、そこで道はため息をついた。
「でも少し前から、心臓の調子が悪くなってきてしまったの。
父の心臓ももう働きすぎたのかもしれないわね。
それで施設に患者として入れてもらうことにしたのよ」
夏葉はなんと言っていいか解らなかった。
仕事上では何でも言いたいことや聞きたいことを遠慮もためらいもなく言えるのに、それ以外は全くしゃべるのが下手なのだった。
なにか言おうと口をパクパクさせている夏葉を見て道は笑った。
「なっちゃん昔からおとなしかったものね。しゃべるのはいつも私だったわ」
そして真顔になった。
「今日あなたにお会いしたいと思ったのはね、実は御礼がいいたかったのよ。
覚えているかしら?」
やはり未だに病気で具合が悪いのだろうということは誰にでも察しがつくというものだった。
新設の建物らしく、明るく陽の射す待合室のソファーに腰掛けて、夏葉は待っていた。
ふと斜め右前に顔をあげると、向こうから車椅子に乗った一人の女性が自分の手で車輪を回しながら近づいてきた。
それが道であろうとは思ったが、昔の道の姿をその人に重ねることはできなかった。
もちろん子供から大人に変わっているのだから当たり前で、体も大きいし、顔かたちも髪型も違っていたからだ。
だがその目を見たら、今自分の前でニコニコと微笑みかけている女性が道であることに間違いはなかった。
「なっちゃん、よく来てくれたわね。
会えてよかったあ」
道はほっとしたように言った。
「全然変わっていないのね。この近くにコーヒーショップがあるのよ。そこでお話しましょう?」
戸惑っている夏葉に、道は30年の時の隔たりなど全くないように屈託なかった。
夏葉が道の車椅子を押して外へ出ると、
「久しぶりで会ったのに押してもらっちゃって悪いわね」
と道は前を見たまま言った。
「そんなこと何でもないわよ...みっちゃん、歩けないの?」
夏葉は道の背中を見ながら、やっとさっきから心の中でくすぶっていた問いを口にすることができた。
「ううん、歩けないわけじゃないの。足は悪くないのですもの。でも歩くと心臓に負担がかかるから車椅子で移動することになったのよ」
コーヒーショップは、施設の建物に隣接していて、二分もかからなかった。
中へ入ると、にこやかなウェイトレスが近づいてきて、窓際のテーブルから椅子をはずして車椅子のままで座れるようにしてくれた。
「私常連なの。指定席が決まっているのよ」
と道は囁いた。
「なっちゃんなににする?今日は私におごらせてね」
道はコーヒーを二つのほかにケーキも二つ頼んだ。
「さあ、これでゆっくり話ができるわね」
道の話は12年前のことに遡った。
12年前に道は心臓移植を受けたのだった。
臓器の提供者はなんと道の父親だった。
「父が突然事故で死んだのだけれど、父はもし自分が死んだら、自分の心臓を私に移植するようにと遺言してあったの。
父の心臓をもらって、私は元気になって普通の暮らしができるようになったのよ」
何も言葉なくただびっくりしている夏葉に道は笑いかけた。
「本当なのよ、私が元気いっぱいだった時の姿をなっちゃんに見てもらえなくて残念だわ」
そこへケーキとコーヒーが運ばれてきた。
生クリームのかかったおいしそうなケーキと湯気を立てた香りの良いコーヒーを見て、道は幸せそうな顔をした。
「ねえ、普通の暮らしってどういうことか解る?
朝目が覚める時に調子が悪くなくて、すぐに起き上がれるの。
外へ出かけていっても大丈夫で、お日様の中で歩いたり、駆けたり飛び跳ねたり。
母と食事をしながらや友達と会っているときに、お互いが何も心配しないで楽しい会話ができる。
私はそんなことが嬉しくて、本当に生きる喜びとはこういうことかって解ったのよ」
道はケーキを一口食べるために言葉を止めた。
「それから私は介護の資格を取ったの。
自分が元気になった分、そうでない人たちを少しでも助けてあげたいと思ったから。
そして今私のいる施設で働いてきたの。
体の不自由な人たちの世話をするのは大変なときもあったけれど、とてもやりがいがあって私は生きているという実感が持てた...」
夏葉には、道が楽しそうに同僚や患者と喋ったり、元気に動き回って働いている姿が目に浮かんで嬉しくなった。
だが、そこで道はため息をついた。
「でも少し前から、心臓の調子が悪くなってきてしまったの。
父の心臓ももう働きすぎたのかもしれないわね。
それで施設に患者として入れてもらうことにしたのよ」
夏葉はなんと言っていいか解らなかった。
仕事上では何でも言いたいことや聞きたいことを遠慮もためらいもなく言えるのに、それ以外は全くしゃべるのが下手なのだった。
なにか言おうと口をパクパクさせている夏葉を見て道は笑った。
「なっちゃん昔からおとなしかったものね。しゃべるのはいつも私だったわ」
そして真顔になった。
「今日あなたにお会いしたいと思ったのはね、実は御礼がいいたかったのよ。
覚えているかしら?」
更新日:2019-07-15 13:57:24