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7話 「ハロー青春、ビバ公爵家令嬢ライフ」

暦は薫風の香る5月に。春の勢いはそこ飽和に達し、夥しい陽光が亡魂帝国全土を包まんとする候。
このときの林檎子も、またその全身に溢れんばかりの輝きを放ち、高貴な公爵家令嬢として、または一人の絶対的な美少女として、その特別かつ破格の祝福を幾重にも享受し、心身ともにありあまる自由と壮健のもと、そしてまだ始まったばかりの青春を戸惑いながらも謳歌し、幸福と平穏の日々を過ごしてていたように見えた。
少なくとも彼女のあまりにも短すぎる生涯において、このときばかりはそうであったろうと、周りの者たちはそう思っていたようだ。
実際林檎子も黒荊家の生活にも慣れ、ただ相変わらず梅園寺派の横槍や嫌がらせは続き、ともすれば三輪子のヒステリーのよる暴力(本人は教育と言っている)も幾度かあった。
しかし、それすらも退屈な日常の一コマとなりつつあり、もともとイジメ耐性の強い林檎子にとってはストレスや心の痛痒というほどのことでもなかったようだ。
もっとも林檎子の関心ごとの殆どは兄紀緒彦のことであり、その他の人間との関わった出来事などまったくをもって実にどうでもよいことといえた。
意中の兄紀緒彦と当然同じ一つ屋根の下に住むも、また林檎子の部屋とは二階の隣同士でもあるも、一日の中で顔を合わせるのは朝食と夕食のときくらいであった。
その際、林檎子のほうからは決して話かけることはなく、一度すら視線さえも合わせずに日々を過ごした。
とにかく紀緒彦の前ではツンデレ属性をフル稼働させる林檎子であった。
たまに廊下で紀緒彦とすれ違うこともあるが、紀緒彦のそのやさしい笑顔を向けられると、とっさに林檎子は胸の内を気取られまいと焦るあまり、ハートマークになりそうな瞳を三白眼にし斜めに背け、綻びそうになる唇をヘの字に捻じ曲げ、うっかり垂れそうになる涎を吸い込むと「チョッ」と舌打ちまでオマケしてしまう始末であった。
そして、そんな林檎子の態度に「嫌われてるのかな」と懸念する紀緒彦の少し悲しそうな眉根を確認しては、そこで何故か林檎子はなんともいえぬ安心感を覚えるのであった。しかしそれと同時にまたなんともいえぬ罪悪感が沸き、それらが混沌と頭を悩ませ春の夜をより狂おしいものとするのがここのとこの林檎子のお約束であった。

そんな林檎子は、平日は学校も仕事も行く必要もなかったが、公爵令嬢としてそれなりの日課があるにはあった。
昼間は習い事、「お茶」、「お花」、「お琴」を父才蔵の提案でなんとなく始めてみた。
しかし女子力皆無の林檎子にはどれもこれもがハードミッションで、「お茶」をやらせればクリームソーダが出来上がり、「お花」をやらせればすべてお刺身のタンポポ状態になり、「お琴」はハワイアンな音色が響いた。
各習い事の先生はそんな状況に大いに頭を悩ませ、林檎子の習い事を辞退すると申し出る師もいた。
それ以外の空いた時間の林檎子は自室に篭り日がな一日、分厚い医学書を片手にお勉強にいそしんだ。
もともと趣味が勉強くらいであったし、三輪子の大手術以来、帝都大医学部の医師や教授らとの交流が始まり、接待を兼ねた意見交換会やら、講義の依頼やら、学会へ論文発表などなどと本業? のほうでもヒマつぶしの機会はこと欠かなかった。
また夜にはプライベートで気分転換におしゃれな銀挫のバーによく飲みいくことが多かった。
とはいえ林檎子は12歳なのでアップルタイサーを1杯頂いては雰囲気だけを楽しんでいたようだ。
また気分がいい時は運転手の平川に一杯奢ることもあり、こういう時平川は決まってミルクセーキを頼みストローでチュウチュウ美味そうに飲むのが彼の常であった。そんな連れを林檎子は横目で見て、密かに隣にいるのが紀緒彦だったらなあと「ふう」と溜息がでるのが彼女の常であった。

更新日:2019-10-22 20:26:02

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