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一卵性プロローグ

 夕凪の海は、鏡のように水平感覚に優れているが不気味なざわつきを持つ。その実、人間の心理の平衡感覚のポイントを突く起爆剤は、誰もが同じではない。同じではないから、人間の営みは面白く可笑しく多様性を展開し、美学となる。嵐の中の平穏。卓越していなくても感じ取れる人間は多数だが、何の前触れもない悲愴な事象には免疫が皆無なので、多様な拡散を生み、無抵抗だ。ここに、悲劇はあったのか?ここに、喜劇はあったのか?

朝ぼらけ、夭夭と棚引く筋状の白雲がふんわり天女の羽衣の如く寝そべり、透明なコバルトグリーンのカオスにやさしい光のシャワーが吹きかけられた。何かに呼びかけられたように、海は目覚めた。
「海?」
それすら、軽いパンチを喰ったような謎だ。心細さと清々しさは、共存できる事を、学んだ気がした。
ベッドのパイプの塗装はところどころ剥げ落ち、アンティーク家具宜しく鈍色の錆が見えている。最近のトレンドは新品の家具に錆色を付けて古ぼけ感だと見せかけることだというが、本物と造り物では、自ずと差は出てしまう。ここのそれは、ずっしりと、歴史の匂いを付けて、価値を引き上げている。

波多島は、南の桃源郷とパンフレットには宣伝されているが、観光産業そのものが、成り立ってはいない。その実、若い人たちはどんどん島から出て行き、おばぁとおじいで、ほぼ成り立っている。その中間の熟年層は、人々の喧騒の中で押し潰され、夢破れて戻って来たものや、産まれ育ったこの島で、代々受け継がれた漁師しか食べて行く手段を持たない人々だ。
ここでは、少子化の波だけではなく、子供の持てる年代の若者離れが加速度的に進み、人口はどんどん流出しており、生徒が少なすぎて、役場は財政逼迫。島の学校の先生に払う給料を減らすとかで、予算を切り捨ててしまった。これからの島の未来を考えると、自分で自分の首を絞める所業だと島民の評判は悪かったが、多数決の論理が優先されてしまった。だいたい、この島に多数決の論理は通用したことが未だかつてなかった。長老の一言で前進も後退もする鶴の一声支配だったが、時代の波は隙間を作りながら知らないうちに入り込んで来た。デモクラシーが島に入り込むことは、誰が想像したのか。それでも、その武器の使い方は、直ぐに覚えられ、今では選挙で代表者が決まる。権力を握ったものはそれを最大限に利用する。その発言は、この島の影響力は大である。学校の廃校もその過程を経て決められた。しかし、今建っている学校を潰してしまうのは、誰もが、抵抗を持っていた。愛着とか郷愁とかいう言葉が、人々に残っているからだろう。

更新日:2019-04-17 14:24:07

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