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前編

挿絵 273*299

 ブラジルは人種差別がない国と聞きますので、どうしてもそのような事に興味がわきます。実際には混血が進んでいますので、親、兄弟でも肌や髪の色が全く異なる方います。そういう意味では人種(ここでは外見)に関する偏見はないといえると思います。

 人種差別の定義とは何か?ウイキベテアで知べて見ますと、人間を人種、民族、国籍、地域において、その特定の人々に対する嫌がらせ、暴力、いじめなどの行為や差別。
社会学者ロバート・マイルズはステレオタイプな他者像を伴うとか書いています。

 文化的、生活習慣的、価値感の違いからか、近くにそのような方がおられると心地よくないとステレオタイプで感じるならば、私も人種差別主義者に当てはまってしまいますね。
どうしても人種というものに対しては先入観があります。ただし、それは個人的にその人を前にして、どうこう差別を意識するものではありませが、例えば良くない例かも知れませんが、私の隣人に例えばある海外から来た方が(国は自分で入れてください)1家族住んでいても、なんとも思いませんが、町中の過半数がその民族の方になり、コミュニティーを作られ、そこが日本となれば文化的、生活習慣、価値観が大きく違うことから、やはり何とかならないものかと感じる状況があるかと思います。

 その昔、カリフォルニア州の韓国人の多い町に住んでいたことがあります。その地域の学校で、朝からニンニクを食べて来ないでと通達が出た事があります。臭いが強烈だからです。これって炎上すれば特定な民族への嫌がらせと取れませんかね?USAの社会は合理的な考えを正しいとされるのでそのような事件にはなりませんでした。

 一方、日本人は何の問題も起こさない民族かといえばそうでもありません。USAでも、中西部(内陸)に行くと、たぶん今でもそうだと思いますが、あまり魚を食べる習慣はありません。それで日本人が料理する焼き魚は臭く、彼らにすれば死体を焼く臭いだそうです。その他、日本では酔っ払いには非常に寛大な国ですが、USAのように酒に関して厳しい国では、公共の場での酔っ払いに対してはひんしゅくをかう事もあるようです。これらだって民族的嫌がらせと感じる方もおられると思います。人種差別とは、つまり文化、生活習慣、価値感が異なる人と同化して住むのは非常に難しく、自分の生活を守る為にそこでその方達を排除したい気持ちもあり、差別という行動になるのではないかと思います。

 ここでの合理的判断のガイドラインはその地域では、どちらが過半数を占めているかという事もありますし、その問題原因が民族特定ではなく、その行動そのものが、そこの国の法律、生活慣習と異なるかというような事がになるかと思います。

 ブラジルでは人生は自分だけが、かっこよく、見せびらかし、楽しく人生を過ごすのが理想的で、多少自己中心主義的です。
また他人を干渉したり、悪口を言う事も日本人よりは、かなり少なそうです。そういう意味からも人種差別は起こりにくいと思われます。
 
 言葉でも人種差別用語というものが存在します。しかし、中にはあまり合理的な理由でなく、感情論的なものもあるのではないかと思います。日本で中国の事をシナと呼べば差別用語という方もおられますが、日本の南にある海は南シナ海でブラジルのポルトガル語では中国の呼びはシノ/シナです。
 英語で黒人をネグロと言えば差別で黒ブラックと呼べと教えられますが、ブラジルでは黒(preto)と呼べば差別でネグロが正しい呼びです。USAでは黒人どうしはニガーと呼び合いしているものも良く聞きます。つまり差別用語も言う人と言う場所で異なるという非常に曖昧で、感情論的ですが、目の前にいる人は何を言われる事を嫌がるのか、人種、民族的判別をして話す事となり、それって、その人に対するステレオタイプをしている事になっているのではないかと混乱してきます。
 それではブラジルでの人種差別のない政策がすばらしくて、人種差別でその昔に大いに世界から叩かれた、黒人差別のUSA、白豪主義の豪州、アパルトヘイト政策の南アフリカ共和国は対極の最悪政策だったでしょうか?教科書を読めばそう思い込んでいましたが、あまりに一方的な見方で、結果論的見方と思います。

更新日:2018-09-24 15:20:26

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