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現在 懸隔


今日は資料作りの為、昼過ぎから図書館に篭っている。もちろん午前中は私の睡眠時間だ。平日は空いているし何よりこの県立図書館は蔵書が多く、偏りが無いのが良い。市立図書館は地域性の高い書籍が大きく陣取り過ぎている。しかも平日でも新聞やらを広げた中高年男性が多く、空気の淀みが酷い。
人は騒音を聴覚のみで感じる訳では無いのだ。
私は参考になりそうな資料を何冊か取ってきては、スマートフォンのアプリに書き込んでいく。もちろん著作権に関わりそうな書籍のタイトルと著者の名前は書籍ごとに打ち込んでいく。ネットの情報は便利だけれど確実ではない。依拠はきちんと確認しないと危ない。
私は人の心理描写が下手くそだ。まあ、情景描写も得意では無いけれど。何故か私の担当編集者は情景描写については指摘が少ない。デジタル化した世の中には文字列の情景はあまり必要とされていないのかもしれない。
ふと、気づくと時計の針は15時を廻っている。さて帰りのバスの時間だ。この図書館はスクーターを停める場所がないのが唯一の欠点だ。
使い慣れたバックに手荷物と借りた本を詰め、私は外に足を踏み出す。
今日はこの季節にしては少し暑い。外は真夏といってもおかしくない良いくらいだ。
周囲に植えられた樹木は自ら育てた大きな葉に覆われて、鬱陶しくなっている。
選定はまだかな?そんなことを考えていると前方の駐車場に見覚えのある車が止まっている。あれは修一くんのスバルの青だ。澪さんと修一くんは二人共青の車が好きならしい。
「やあ木之実先生」
彼は私の不快さを知っていて、意地悪でそういう事を言う。
「やあ、修一くん。こんなところで何してるの?全人類を救うために日夜頑張っていると私は思っていたんだけどね」
「別に人類のためには何もしていない。俺たちのしていることは世界を救うことだ」
うむ。皮肉を前向きに否定するところは実に彼らしい。誰かに見習って欲しいものだ。
「それでさ・・・」
亜希は心の底辺でいつもくすぶっているモヤモヤとした質問をする。

「とりあえず今は私たちの日常は保障されているんだよね?気づいたら自分と世界の境界が分からないなんて怖いよ」
修一くんは気鬱した表情で答える。
「まあ、シニスの活動は一進一退だな。本来唯の現象だ。人間がそれぞれ毎日ちゃんと自我を保って、ものを考えていてくれればこの状態のままなんだがな。知ってのとおり自分の頭でものごとを考える人間は減っている。シニスの影響下に取り込まれている人間はどんどん増えている。残念なことに」
世界はシニスに覆われている。シニスは世の中の曖昧さを加速させる現象だと澪さんにも聞いた。
「澪さんに、あなたのお姉さんに協力してもらえないのかな?」
修一くんは肩を竦める。
「あれを使いこなすのは難しいし、危険だ。むしろあんたの方がその役目をして欲しい」
そう言えば
「貴方、アイツに澪さんに関わるな、とか言ったんだったんだって」
「そんなことを言っていない。姉貴は一見無感情に見えるが、表情に現れてこないだけだ。
橘が必要以上に姉貴に関わると、底に沈んだ感情がどんな形で顕在化するか分からない」
それは世界の崩壊より危険なことなのだろうか?
「だからさ。橘と姉貴がいる時はあんたにも一緒に居て欲しい。あんたが多分唯一姉貴を制御できるから」
そんなこと言ったって、私だって自分の自家薬籠を集める自分の都合があるのだ。
「好きなところまで送るよ」
 と修一くん。
「ファースト・オフまでお願い」
「了解」
修一くんはそう言ってハンドルを握る。
亜希はふと思い出して聞く。
「アイツもそのシニスというのと戦ってるんだよね。バイトで?」
「まあ、末端の末端でな。もともと橘に深く関わらせたくない。姉貴のことも有るしな。だから必要以上のことはさせていない。だがアイツはもういろいろ気づき始めている。それも仕方がないな」
修一くんも知っていることを全部私に話してはくれないのだ。
修一くんは助手席に私を招く。彼の運転は姉ほど危なっかしくない。

ふと思い出して私は口にする。
「そう言えばこの前、澪さん達と星見に行ったとき彰くんが撮った画像に何か変なものが写りこんでいてアイツが突然固まっちゃったんだけど、修一くんは何か聞いている?」
修一くんの顔色が変わる。真剣な眼差しは姉に似ている。
「そのことなんだが、貴女に伝えとかなきゃいけないと思って」
そういうことで待ち伏せされたらしい。
「今はシニスよりそっちの方が大きな問題だ。今日明日どうにかなるという訳じゃないが、多分全世界規模の騒動になる。面倒くさいが俺や橘も対処に廻される可能性が高い」

更新日:2018-09-07 19:54:27

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