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挿絵 795*775

105・   扉なし共同トイレに和婦とまる
         (とびらなし きょうどうといれに わふとまる)

 地元で評判の高い中華飯店に現地ガイドが昼食に案内してくれた。日本人の来ない場所なのだという。確かに料理はうまく1時間のうちに15種類もの料理が次から次に出された。各テーブルとも食べ残しが出ていた。
 男たちは食後に男女共用トイレに行って壁にむかって放出した。だが大便用の場所には先の壁との仕切りはなく、跨ぐ板が2セット付いていただけ。女たちは仕切も扉もない、しかも男のいるトイレで用をたすわけにはいかないと、並んだ列から中をちらと見やってUターンして出て行った。私でもここには用はないと出て行っただろう。

 2018年の中国共産党の生活改善目標の一つが、地方都市のトイレの改修だという。この俳句を作った2002年の16年後の現在、この句の小話を書く段になってさて、現地の住人たちは、扉のない2本板式便器にまたがる際に、入り口側に頭を向けて屈むのか、それとも尻を向けるのかを考えて見た。当時は考えも及ばなかったことだ。
 ウエスタンは水洗であるが個室の入り口側に顔を向け座る(扉は付いている)。そして日本はスペースに余裕があれば扉のある入り口側を横に見て座る。中国人はどうなのであろうか。
 
 (2002・11・29、中国蘇州)



106・   一張羅をさっと脱ぎ置く黄金木
         (いっちょうらを さっとぬぎおく おうごんぎ)

 イチョウは身につける服が綺麗で、新緑も黄葉も人にため息をつかせる。圧巻なのはその服の脱ぎ方である。輝くビロードの一張羅を惜しげも無くあっという間に足元に散らせる。
 服を脱いでも背筋の通った細身のイチョウ女子は胸を張って歩く一流のファションモデルである。

 (2002・11・29、大阪市東三国)



107・   俳歌本で飲み代割引500円
         (はいかぼんで のみだいわりびき ごひゃくえん)
 
 近所の食事処で久しぶりに酒を飲んだ。話し好きで酒好きの70歳の女将は、いつ行っても私の前の椅子に座って説教を垂れる。いつもの説教のお礼に作りたてのほかほか俳歌本を渡した。すると、女将の娘が計算した額から5000円を引くようにテーブルから指示した。
 ちなみにその日の説教は「山の仙人より街の仙人になれ」というものだった。その前は「奥さんを大事にしなさいよ」であった。どちらのいまだに人生の目標になっている。

 (2002・12・10、大阪市東三国)



108・   ノーベルにきちんと挨拶田中技師
         (のーべるに きちんとあいさつ たなかぎし)

 ノーベル化学賞を受賞した島津製作所の研究所長でフェロー(受賞前は事業部の主任で資格は技師)の田中光一氏は分析機の開発で受賞した。父親が鋸の目立て職人で、その父の仕事ぶりをみて仕事の本質を理解したのだという。
 晴れの授賞式に臨む前には英語の挨拶を20回練習したという。ニュースの映像では式場に置かれたノーベル像に向かって丁寧なお辞儀をしていた。人柄の良さを感じさせるシーンであった。

 田中氏は計画した実験の結果を発表して評価されたのではなかった。とんでもない失敗をした実験の結果を見て、驚かされて、その結果を公表したという。「失敗は成功の母」と昔から言われるが、わざと失敗することはできないのだから格言ではない。

 (2002・12・10、大阪市東三国)



109・   べリベリヨーグルトをブルーベリと注文
         (・・・・・とちゅうもん)

 CASAレストランに入って手早くオーダーした。仕事帰りで疲れていたのか、メニューをうまく読めない。こんな名前をつけるなんて、この店はベリーベリーバッドだ。

 (2002・12・12、大阪市京橋のビジネスパーク)



110・   思い切り言え、そうか見えるか83歳
         (おもいきりいえ そうかみえるか はちじゅうさんさい)

 大阪女子師範卒業の元教師が瀬戸物屋の店主であった。女主人の話がうまいわけがわかった。戦争中、女子師範の各クラスは男教師の不足を補うために3クラスが11クラスに増やされたという。
 1時間もいてお茶とぜんざいをご馳走になったので、古伊万里の絵皿を買うことになってしまった。富田林市の観光資源である古い商店街を訪れる人との会話が楽しみだいう主人は、商品が売れなくても気にしないのだと言っていた。

 (2002・12・23、大阪府富田林市)

 

更新日:2018-08-24 09:20:29

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