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(4)好きなのは、誰?

 尚樹が両親に大学を中退することを伝えてから、もう1ヶ月が経とうとしていた。その間両親からはこれからどうするといった話もなく、さらに苦言をいつも放っていた兄もとうとう完全に尚樹のことを見限ったようで何も言わなくなっていた。

 尚樹は取り敢えずどこでもいいから働く場所を確保することとした。ちょうど毎日のように通っていた区の図書館の近くにある古書店に、店員募集中という張り紙が貼ってあったことを尚樹は思い出した。取り敢えず尚樹は、今の自分のようなものでも採用してもらえたらと考え応募することとした。

 その古書店は小さな古書店で、いつも年老いた店主が一人で店番をしていた。それなのに店員を募集するなんて、尚樹には少しだけ不思議に思えていた。早速履歴書を持参して、その店主のところに差し出した。店主の決断は即決だった。

 店主が言うには、古書店を誰かに任せて今後は大好きな創作活動に専念したいとのことだった。店主は若い頃から古書店を営みながら大好きな小説を書き続けてきたとのことだった。だがもう老いを感じるようになり、残された時間はすべて創作活動に使いたいとのことだった。

 尚樹にとって来客対応が必要な仕事ではあったが、店主が余計なことを言わずにお客様に自由に本を見てもらうようにするだけでいいと言われ肩の荷が降りたように感じていた。経験など一切なかった尚樹を、古書店の店主は採用してくれて色々な仕事も丁寧に教えてくれた。

 古書店で働くことが決まった尚樹だったが、それはそれとして自分のやりたいことを見つけたい思いが強くなっていた。確かに今の尚樹は、真希が作曲したメロディに作詞することに夢中になっていた。そしてたまたま縁のあった古書店の高齢の店主は、若い頃からの小説家になるという夢をいまだに追い続けているという。

 そんな店主の姿を見ていると、尚更尚樹は自分もやりたいことを手に入れたいと考えるようになっていた。今まで全てのことに中途半端な姿勢でしか接してこなかった尚樹だったが、目まぐるしく様々な変化に巻き込まれているうちにそれまでの自分とは違った自分がいるように思えていた。

 そしてそれを強く意識させるのが、真希の存在だった。大学中退を決意した尚樹の前に突然3年ぶりに高校中退をしていた真希が現れていた。正確に言えばもし真希との再会がなかったら、尚樹は今回も結論を留年などといった中途半端な形に持って行ったかもしれなかった。

 今は一刻も早く真希に、大学を中退して正式に古書店で働くことになったことを知らせたかった。そして出来ることならその時に、自分の夢を真希に語ることができたとも考えていた。尚樹は今まで夢と呼べるほど結果にこだわることには縁がなかった。

 好きなことくらいは幾つかありその時々で、常にそれに夢中になっていたように思えた。だがその中で得ることができた感動などで、夢と呼べるものなどなかったように尚樹には思えていた。そもそも肩肘張った夢などいう大げさなものなど叶うはずもないと、尚樹は最初から考えていた。

 今までの尚樹は自分の将来について、可能性などというポジティブな考えを抱いたことなど一度もなかった。しかし確かにポジティブになれなくとも、今でもずっと夢を追い求めている真希や古書店の店主みたいな距離感で夢と向き合っていくことなら尚樹にもできるかもしれないと思えていた。

更新日:2018-07-09 13:39:33

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