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岡村さん
岡村さん
身長154㎝の千紗より頭一つ高い背丈に、深い笑いシワの刻まれた目元口元。声は、少し低めだ。
「悪いね。あぁ私、目標立てたわ。パジャマのLLが着られるようになるってね。」
と、ボタンが止まらなくて断念した 入院時に渡されたLLの病衣を千紗に返しながら、自嘲っぽく笑った。
岡村さんは、糖尿病の教育入院で入ってきた。
薬を飲めば治る病気ではないので、生活習慣を見直し 体質改善をしつつうまく病気と付き合っていく術を身につけ、糖尿病特融の薬の扱い方を習得する目的である。
病院食以外、加糖 脂肪分の含まれた飲み物厳禁、オヤツ厳禁 当然喫煙も禁止の入院生活になる。
岡村さんが入院してきたその日の午後には、彼女の入った6人部屋のカーテンは全て開け放たれ、部屋の窓際中央にイスを置きドスンと陣取った岡村さんを部屋の患者さんが取り囲み、にぎやかな笑い声があがっていた。
検温や点滴に看護師が部屋に入ると、
「はい お仕事だよ。」
と、岡村さんが号令を出すと、また 笑い声が起こる。
点滴がつながれた患者さんが、
「いやぁね、こんなんじゃ ホント不便で。」
と言うと
「ここにいる限り、必要なの。早く、そういうのはもういりませんからお帰りください、って先生に言われるようにがんばろうね。」
と、それほど早くない口調で岡村さんは答える。
さっき入院してきたばかりの人のようにはとても思えない。
この日は、退院する人もなく 千紗は平和な一日を過ごしていた。
「ね。こんな日にできる事、あるわよね、監査も近いし。」
と、すれ違いざまに婦長さんから声をかけられた。ようするに、掃除をしておけ、と いう事だ。
しかも、それは 先日、ナゾの電撃を喰らったあの壁の前でだ。
・・・チラ っと、その壁を見る。
この間のままだ。
「やらなきゃダメかぁ・・・」
相方の山村さんに、ここだけ押し付けてしまおうか、とも思ったが、山村さんは、他のフロアが忙しいというので手伝いに行ってしまっている。
渋々と、壁を磨く準備を始めた。
汚室
掃除用のバケツを取り出すと、小さな綿埃が舞った。
壁に吸い込まれていく あの奇妙な現象以来、久しぶりにホコリを見た。
そうだ。 あのキツネのきっぺいは、どうなったのだろう。
今朝の、あのウゴウゴモリモリなのは『きっぺいでもいいぞ』とか言っていたが、それは・・・
あの壁を 見てみるが、やはりキツネの姿はなかった。もしかすると、掃除のおばさんが拭き取ってくれたのかもしれない。けど、キツネが消えた以外にも、異変を感じる。今日の汚室は、西日が差し込むためか 明るいし、部屋に入ったからといって、何らかを感じる事はない。床にも、フワフワと舞うモノもある。なんといっても、今までは看護師達がちょいちょいとやってくれたりした洗い物が、溜まっている。
これは・・・ きっぺい効果消失なのか。
とにかく、溜まった洗い物を済ませる。看護師が洗ってくれる確約もないし、もしかしたら朝のアレがまた現れるかもしれないのだ。
相変わらず、低音で単調な音程で唸る乾燥機に、車イスでトイレ介助に来た看護師の声がするいつもの音が響いている。が、昨日まで感じていた重苦しい空気はなくなり、汚室を出た時も何も感じるモノはなかった。
あの、ウゴウゴの物体の事も チラと思い出しただけで、実はたいして気にしてなかったためなのか その頃にはすっかり忘れていた。
そして。 あの汚れのある壁の前に来た。
「少し離れた所からやろうかな。」
壁。 なのに、なぜか 薬液らしき付着物など、通常正しい廊下の使用法をしていたならば、ありえない汚れの数々。 そんなモノを水をかけクロスで拭き取るという作業を繰り返しているうちに、千紗はだんだんとその作業に没頭してくる。そういう質で、キレイになっていく様は、好きなのだ。
そんな上がり調子の頃に、あのポイントへやってきた。
『 触るな 』
そんなオーラが出ているみたいだし、心なしか ゆーっくりとドグロを巻くように動いているような気さえする。だが きっと気のせいだろう。
・・・気のせい・・・。 その時、その中心部分から何かが飛び出してきた。推定長さ2㎝直径3mm。やや透明感強めの薄茶色の何か。
「あらーーーーー。あなた、そんな事までするの?」
突然背後から声がかかった。
千紗は 見られたくない内緒のモノを隠すかのように、瞬間業で 怪しげな、まさに今 怪奇現象が起きた付着物に水をかけ一気に拭き取った。
自分の中でも、アレは認められないし まして患者さんに、掃除しているにも関わらず汚れもまともに落とせていないと思われるのは恥だ。
結果、あの付着物は掃除完了した。背を押されるとは、こういう事を言うのだろうか。
声の主は、岡村さんだった。
身長154㎝の千紗より頭一つ高い背丈に、深い笑いシワの刻まれた目元口元。声は、少し低めだ。
「悪いね。あぁ私、目標立てたわ。パジャマのLLが着られるようになるってね。」
と、ボタンが止まらなくて断念した 入院時に渡されたLLの病衣を千紗に返しながら、自嘲っぽく笑った。
岡村さんは、糖尿病の教育入院で入ってきた。
薬を飲めば治る病気ではないので、生活習慣を見直し 体質改善をしつつうまく病気と付き合っていく術を身につけ、糖尿病特融の薬の扱い方を習得する目的である。
病院食以外、加糖 脂肪分の含まれた飲み物厳禁、オヤツ厳禁 当然喫煙も禁止の入院生活になる。
岡村さんが入院してきたその日の午後には、彼女の入った6人部屋のカーテンは全て開け放たれ、部屋の窓際中央にイスを置きドスンと陣取った岡村さんを部屋の患者さんが取り囲み、にぎやかな笑い声があがっていた。
検温や点滴に看護師が部屋に入ると、
「はい お仕事だよ。」
と、岡村さんが号令を出すと、また 笑い声が起こる。
点滴がつながれた患者さんが、
「いやぁね、こんなんじゃ ホント不便で。」
と言うと
「ここにいる限り、必要なの。早く、そういうのはもういりませんからお帰りください、って先生に言われるようにがんばろうね。」
と、それほど早くない口調で岡村さんは答える。
さっき入院してきたばかりの人のようにはとても思えない。
この日は、退院する人もなく 千紗は平和な一日を過ごしていた。
「ね。こんな日にできる事、あるわよね、監査も近いし。」
と、すれ違いざまに婦長さんから声をかけられた。ようするに、掃除をしておけ、と いう事だ。
しかも、それは 先日、ナゾの電撃を喰らったあの壁の前でだ。
・・・チラ っと、その壁を見る。
この間のままだ。
「やらなきゃダメかぁ・・・」
相方の山村さんに、ここだけ押し付けてしまおうか、とも思ったが、山村さんは、他のフロアが忙しいというので手伝いに行ってしまっている。
渋々と、壁を磨く準備を始めた。
汚室
掃除用のバケツを取り出すと、小さな綿埃が舞った。
壁に吸い込まれていく あの奇妙な現象以来、久しぶりにホコリを見た。
そうだ。 あのキツネのきっぺいは、どうなったのだろう。
今朝の、あのウゴウゴモリモリなのは『きっぺいでもいいぞ』とか言っていたが、それは・・・
あの壁を 見てみるが、やはりキツネの姿はなかった。もしかすると、掃除のおばさんが拭き取ってくれたのかもしれない。けど、キツネが消えた以外にも、異変を感じる。今日の汚室は、西日が差し込むためか 明るいし、部屋に入ったからといって、何らかを感じる事はない。床にも、フワフワと舞うモノもある。なんといっても、今までは看護師達がちょいちょいとやってくれたりした洗い物が、溜まっている。
これは・・・ きっぺい効果消失なのか。
とにかく、溜まった洗い物を済ませる。看護師が洗ってくれる確約もないし、もしかしたら朝のアレがまた現れるかもしれないのだ。
相変わらず、低音で単調な音程で唸る乾燥機に、車イスでトイレ介助に来た看護師の声がするいつもの音が響いている。が、昨日まで感じていた重苦しい空気はなくなり、汚室を出た時も何も感じるモノはなかった。
あの、ウゴウゴの物体の事も チラと思い出しただけで、実はたいして気にしてなかったためなのか その頃にはすっかり忘れていた。
そして。 あの汚れのある壁の前に来た。
「少し離れた所からやろうかな。」
壁。 なのに、なぜか 薬液らしき付着物など、通常正しい廊下の使用法をしていたならば、ありえない汚れの数々。 そんなモノを水をかけクロスで拭き取るという作業を繰り返しているうちに、千紗はだんだんとその作業に没頭してくる。そういう質で、キレイになっていく様は、好きなのだ。
そんな上がり調子の頃に、あのポイントへやってきた。
『 触るな 』
そんなオーラが出ているみたいだし、心なしか ゆーっくりとドグロを巻くように動いているような気さえする。だが きっと気のせいだろう。
・・・気のせい・・・。 その時、その中心部分から何かが飛び出してきた。推定長さ2㎝直径3mm。やや透明感強めの薄茶色の何か。
「あらーーーーー。あなた、そんな事までするの?」
突然背後から声がかかった。
千紗は 見られたくない内緒のモノを隠すかのように、瞬間業で 怪しげな、まさに今 怪奇現象が起きた付着物に水をかけ一気に拭き取った。
自分の中でも、アレは認められないし まして患者さんに、掃除しているにも関わらず汚れもまともに落とせていないと思われるのは恥だ。
結果、あの付着物は掃除完了した。背を押されるとは、こういう事を言うのだろうか。
声の主は、岡村さんだった。
更新日:2018-11-30 18:22:23