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107.   おでん煮ゆはてはんぺんは何処かな
        (おでんにゆ はてははんぺん いずこかな)
           貨物船(辻征夫)

 はんぺんはのっぺらぼうであり、名前からも偏屈な性格であるのがわかる。その割には形は単純な四角形で、何ともおかしい。それで偏屈人間がこれを注文する時にはちょっと照れてしまう。おでん槽を覗くと、はんぺんはジャガイモ、大根、もち袋等の重そうな体のおでん種に押されて存在が薄い。醤油色に染まっている平べったい「はんぺん」は、横からは見え難い。そこで偏屈男の貨物船は「はて、はんぺんはどこかいな」などと呟いてから、店の主に「はんぺんがあれば、二個」などと小さい声で注文する。 

 この俳歌は、気のせいか南京珠すだれの語りを思い起こさせる。この独特の語り調で俳歌を作れるのが貨物船である。「はてははんぺん」と「は」を重ねてリズムを付けている。このリズムは「はんぺん」の弾力を表してもいる。そして、このはんぺん俳歌は柔らかを持ち、うまい味付けに仕上がっていて面白い。そして笑える。

<坪内稔典氏の鑑賞文 >
「はんぺんは何処かな」という大袈裟な物言いのもたらす滑稽に俳句性がある。
辻征夫の俳句は、俳句史に照らしたとき、うまいとも新しいとも言えないが、文句なく楽しい。575で表現する楽しさが素朴にあふれており、これは従来の俳句史に不足していたものではないだろうか。




108.   お父さん鬼のまんまで豆食べる
        (おとうさん おにのまんまで まめたべる)
          石渡ユリ香(千葉県、12歳当時)伊藤園俳句

 やっと素直で面白い子どもの俳句に出会えた。家族で面白がって豆まきをしたはずなのに、父親は楽しくなかったらしい。だがいつもの顔をしているだけと気が付いた。父親に鬼の顔が残ってしまっているからだと考えた。それで父さんはいつも怖い顔をしているのだと子供は笑ってしまった。

 そして鬼は豆で追い払われたはずなのに、戻って一緒に食卓に着いて豆を食べているのは不思議だと思うとにっこりしてしまうのだ。

 「お父さん」と「鬼」では「お」が重なっている。また「まんま」と「豆」の間では「ま」の韻を踏んでいる。これらによって豆まきの楽しさが読者に伝わる。さらには「まんま」は「ご飯」の意味があることから、食べ物の意味が生じて「食べる」に繋がる効果が生まれている。




109.   音絶えしこの音が雪降る音か
        (おとたえし このおとが ゆきふるおとか)
          有働 亨

 雪の降る音は、さらさら、しんしんとか表現されてきた。このように言い古されてきた雪の降る様について俳句を作ることは困難に思えてくる。だが作者は「音絶えし」と新たな表現を見出した。雪が降るときに耳をすませて雪の音を追求すると、周りの小さな音をエアカーテンのように遮断して、音を消す作用があることに気づいたのだ。
 
 かつて雪がしんしんと降るといえば「しんしん」という音のように思い込んでいたが、もしかしたら音を出さない降雪空間が吸音している音なのかもしれないと気がついた。耳の中がシーンシーンと静まりかえるということなのであろう。この吸音が強くなるとジーンジーンと聞こえるのかもしれない。

 雪の表面は綿状になっていて、凹凸があり吸音する効果が大きい。周囲の音が消されることは、気持ちが清浄になることにつながる。そうなると自分が発する音に向かうことになる。頭の中の声に耳を傾けることになる。雪国の人には内省的な人が多いのかもしれない。

 ちなみに、有働氏は馬酔木同人で、俳人協会顧問(1954年生まれ)。

更新日:2018-06-27 04:48:18

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