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56.   いちまいにのびる涼しさ段ボール
       (・・・・・・・・すずしさ だんぼーる)
         寺田良治

英語ではクールといえば、涼しいという意味だけでなく、「すごい、頭がいい、賢い」という意味にもなる。冷静に判断して動いているのでクールと表現されることになるのであろう。
 段ボール箱の中身を出した後、その底の粘着紙テープをはがすと段ボール箱は折りたためて四角の平らな板になる。このぺたんとなることの不思議さ。面白さが段ボール箱には備わっている。そしてよく見ると胴部の端角で糊付けでつないでいることがわかる。そのシートの重なっている部分を手を入れてはがすと、べろーんとした長い一枚のシートになる。この更なる不思議さに驚かされる。これらの不思議を経験すると、頭の中は暑い夏でもすっと涼しくなっている。

 この伸びたシートを木陰に持っていって、その上にごろりと横になるとさらに涼しくなる。段ボールは熱い土の上においても簡単には熱くならない。そして夏でも涼やかな手触り感がある。
 この伸びたダンボールの上に寝そべった良治の体は自然に気持ちよくなって、段ボールと同じように長く伸びる。そう、段ボールは涼しさを演出するから、クールな材料なのだ。良治は段ボールの本質をこの俳歌で言い当てて、披露している。良治はクールな男だ。

 他に作者の面白い句としては「雪の朝おおスザンナが転んでる」と「青空はまじめで困る石榴の実 」(このサイトに収録済み)がある。これらは作者の句集をいろいろ見た中で理解できて面白かったものだ。





57.   一面の干潟に千の息づかい
       (いちめんの ひがたにせんの いきづかい)
          土肥あき子 (2003年3月)

 マテ貝やアサリ、カニらが口にあぶくを作りながら、なにやら朝の挨拶をしている。昨日は何をたべたとか、最近はエサのナニ虫が減ったとか話している。作者の足元から続く遠浅の砂浜に貝の口が飛び飛びに飛び出しているさまは、まさに地球は生きもので満ちていることを実感させる。この俳句はおおらかな自然賛歌である。
 貝やカニの息遣いの中に作者自身の息遣いも混じっているのを感じる。そして、千の息づかいは干潟の上を吹き抜ける「千の風」になってさっと吹き抜けるのである。この風の中には、笑い声も含まれている気がする。

 この俳句は、数字の一と千の組合せが面白く、中国の詩のような趣が感じられる。しかし、それよりも面白いのは、干潟の「干」と「千」の字が似ていることである。つまり、千の息遣いがあるから、干潟というのだという笑えるストーリーが仕組まれている面白さが隠されている。これによってこの俳句には数字の一と千の組合せが強烈に印象付けられる。まさに作者の笑っている息遣いが聞こえそうである。
 この句の面白さは、水の引いた遠浅の砂浜に千の貝の息遣いが聞こえるということだ。この息遣いは囁きにも聞こえる。作者と砂の中の生き物とのコミュニケーションを感じさせる。





58.   一張羅をさっと脱ぎ置く黄金木
       (いっちょうらを さっとぬぎおく おうごんぎ)
          砂崎枕流 (2002.11)

 秋が来ると枯葉が落ちる光景を目にすると、秋の侘しさが一気に増す。その中にあって、銀杏だけはなぜか心地良い気分にさせてくれる。桜と同様に散り方が良いからであろう。今まで大事に着ていた自慢の黄金色の服を一気に脱ぎ捨ててしまう。そして天を向いて寒いのをやせ我慢している。
 一張羅は現在では死語に近いが、銀杏の服としてぴったりの語感がある。豪華で気前のいい語感がある。

 桜の季節は春一番のような強い風が吹くことで、桜の花びらは広く分散するのに比べて、銀杏の黄葉は足元に残されるので、侘しい感じにはなりにくい。それに銀杏への想いには、銀杏の実が関係している。葉っぱと同じように実を重なるように足元に落としているからであろう。人に恩恵を与えていてつながりが深く、銀杏に対する親密感を醸成していることが微妙に影響している気がする。これはホクサイマチスだけの感覚なのであろうか。
 








 

更新日:2020-09-09 09:12:45

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