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ふれあい

挿絵 120*153

ふれあい

三日目の夜の滝行のころには喜三郎の体力は限界に近づいているように思われた。
滝から上がると河原で膝をついて蹲るとそのまま前のめりに倒れ込んだ。
滝つぼには月光も射さず暗く、祠と滝つぼの間の小さな東屋に灯した提灯の火も届かなかった。
喜三郎の伽で十分な睡眠を得られない聡もうつらうつらとしていて喜三郎の上がる頃合いを見逃していたのである。
ふと気づいて時計を見るとすでに喜三郎が上がる時間を過ぎている。
「喜三郎さん!」声を掛けるが返事はなかった。
祠の中に喜三郎の姿はなく、ごうごうと滝の音だけが聞こえてくる。
「喜三郎さん!」聡は祠を飛び出すと、河原に一塊の喜三郎を見つける。
「喜三郎さん、喜三郎さん」聡が喜三郎の上半身を抱えて呼びかけるが、喜三郎は返事をしなかった。
体は氷のように冷え切っていて、それは人の体とは思えなかった。
頬を喜三郎の鼻先に当てて、呼吸を確認する。
かすかに息づいているのがわかる。
「喜三郎さん」そのまま両手で抱き上げると祠に向かう。
両手、両足は力なくだらりと垂れさがって反応はなかった。
祠に入ると冷え切った喜三郎の行着の布を解くと肉のない骨ばったあばらが目についてその下腹部も縮こまっていた。
老いた体を聡は必死でタオルで拭い続けるとしばらくして喜三郎の体に変化が現れた。
体が小刻みに震え始めたのである。

横たえた喜三郎の体を聡は再び両手で持ち上げると力の限り抱き締める。
「喜三郎さん、喜三郎さん」必死に声を掛け続ける。
それでも老いて骨の浮いた喜三郎の体は小さく震えて止まらなかった。
行着を取り去った素っ裸の喜三郎の体は濡れた枯れ木のようにさえ思えた。
はだしの足からわずかな肉を伴って膝につながっていて、そこから腱が皮膚を引きづって臀部へと続く。
重ねた歳の印であろういくつかの皺の上に小さなふくらみが二つ小さく震えているのがわかる。

「喜三郎さん、大丈夫ですか?」
喜三郎は何も答えない。

このままでは危険であることが、素人の聡にでもわかった。
聡はとっさに自身の白衣を脱ぎ去るともう一度喜三郎に抱きつく。
肌と肌が重なって、喜三郎の体の冷たさが聡の体温を奪うのがわかる。

そのまま喜三郎を寝かせると聡は背中に重なるように添い寝する。
それはまるで二つの胎児が重なっているような姿勢であったが、聡は必死であった。
もっともっと体温を与えたかったが、接触面積は限られていて、喜三郎の体の震えは止まることはなかった。

聡は喜三郎の体を返すと体の前から抱き寄せる。
小柄な老いた体を、老いかけた聡が抱き寄せる姿は異様であったかもしれないが聡に心の余裕などなかった。
喜三郎の浮いた胸骨が聡の胸に当たるが腹部は肉がなく密着することは難しかった。

聡は右脚を喜三郎の股の間に入れると両手を喜三郎の臀部を掴むようにして引き寄せる。
股間の喜三郎自身が聡の股間と密着するとその冷たさが伝わってくる。
力の限り抱きしめ続けていると、聡の肩の上にあった喜三郎の両腕が聡を引き寄せ始める。
喜三郎に状況を認識する余裕ができ始めたのであろう。

喜三郎の背中に回した聡の手が体温を取り戻すべくその背を上下に擦り続けていると、徐々に喜三郎の体温が聡に感じられるようになる。
気が付くと絡み合った聡の中心が喜三郎自身の変化を感じる。
それは凍り付いたものが徐々に溶け始めた兆候であった。
小さく委縮していた喜三郎が聡を包むように感じる。
肩口に当てた顎を引いて喜三郎を眺めると、喜三郎の日焼けした整った顔に血色が戻ってきていた。
顎、鼻、口周辺に白いひげが伸びているが、少しシミの浮いた頬にまばらに伸びた白いひげが喜三郎の歳を表している。
苦しげであった唇に赤みの戻り、少し開き気味に聡の目の前にあった。
聡は喜三郎が可愛そうでならなかった。
老いた小さな体を山の神に差し出して、何を守ろうとしたのであろう。
喜三郎の後頭部に右手を充てると聡の肩口に抱き寄せる。
頬の無精ひげが聡の頬に当たると、なおもきつく抱きしめる。

「今何時だ」喜三郎が問う。
「もうじき朝ですよ」聡が答える。

「家に連れて帰ってくれるか?」
喜三郎の意識が回復したようであった。


「なんで、わしを助けた」
喜三郎が布団の上で目を閉じて呟くように口を開ける。
「当たり前じゃないですか、付き人の使命でしょう」
「余計なことを・・・」
「ええ・・・?!」

喜三郎はまるで拗ねたように頭を反らして背を向ける。


更新日:2021-01-28 10:01:47

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