• 16 / 65 ページ

村落の荒廃

村落の荒廃

集落の東西の山裾に沿って流れている小さな川、その西側の川沿いで喜三郎がせわしげに動き回っている。
川から樹脂のパイプを引きめぐらして長い竿に吊り下げたバケツに水を流し込む仕組みなっている。
竿はバケツの水の重さでシーソーのごとく垂れさがると反対側から引いたロープがバケツの水をぶちまける。
竿は勢いよく跳ねて金たらいの底を打つと大きな音が山に響くのである。
この仕掛けを定期的に面倒をみないと、うまく音が発生しなくなるのであった。

「昔はこんなもの必要なかった」喜三郎がつぶやく。
日本中どこでも山間の集落では鳥獣被害が甚大で、稲作にはイノシシが、畑にはシカやサルが出没しては食い荒らしていくのである。
昔は多くの人が農林業に携わっていて野生の獣を人里で見かけることはまずなかったのであるが、山は木材の輸入の増加に従って荒れていった。
喜三郎の幼少期には財産持ちといわれる家は、所有する山の面積で財産の多寡が計られたものである。
高度成長とはやされて若者は街に出て行った結果、田畑を耕すのは残された老人だけになっていた。
サルが出没して珍しがられたのは少しの間で、すぐにシカが畑の若芽を食い荒らし、山の奥に狩りに行って捕獲していたイノシシは我が物顔で田畑を走り回るようになったのである。

当然山に近い立地が不利になり。山裾に位置する喜三郎の田畑や牛舎はそれらを追い払うのが大変な負担になっていった。
シカやイノシシには周囲を柵で囲うことで侵入を防ぐが、サルの場合はそれでは不足で電気を通した柵を巡らすしかなかった。
空から飛来する鳥にはネットが必要で、それらには相応の費用が発生するのは当然のことであった。
そうして収穫した野菜類にコスト競争力はあるはずもなく、人々の野菜栽培は趣味としか言いようがなかった。
それでも集落の老人たちは畑を耕して、種を撒き、肥料を与えて雑草を退治しながら収穫を楽しみにするのである。

「街のスーパーで買った方が安くて形の良いものが手に入るのに・・」畑の脇で世間話をする集落の老人たちはまるで念仏のように毎回同じ台詞を繰り返すしかなかった。
行政の打つ手に目新しいものはなく、イノシシ1頭でいくら、サルを一匹でいくら、シカを1頭でいくらと狩猟を奨励したが、老いた集落に狩人などいなかった。
人間が自然と共生していくにはどうすればよいのであろう、真剣に考えることなど皆諦めていたが、中には自然淘汰を説く人もいた。
それは絶えて久しいオオカミを放す計画であったが、学者レベルで論じられることはあっても行政が興味を示すことなどありはしなかった。
リスクを伴う施策を打つのは憚れるのであるが、それは行政の怠慢とばかり非難することはできなかった。
いつのころからであろうか、己の権利ばかりを主張して非を行政に求め、あわよくば補償金という金銭ををたかる輩が増えたのは。
時には行政の責任者が個人的に訴えられる例さえも見られるのである。メディアはことあるごとに日本人の民度は高いと世界から評されているというが喜三郎のような昔の人間にはまるで理解できなかった。
その様な時代背景もあってか、行政の打つ手はまさにモグラたたきに尽きるものばかりで、イノシシ、シカ、サルを防ぐ電気柵、鳥の害を防ぐ網などの設置費用の補助程度であったし、それらの費用はまわりまわって皆の税金が充てられるに違いなかった。

移り住んで集落の人地の話を聞いた聡には、尽きるところは弱肉強食の太古に還ってしまうように思えるのである。
便利な土地を強い人が囲い込み、力のない人、気の弱い人が順送りのように不便な土地に逃げるように住居を構える。
それらが長い年月を経て人の階級を形成してきた歴史が、今も延々と受け継がれているのであろう。

それは地球上どこにでも当然のように行われていることが、メディアの報道で知らされる。
砂漠の地で富を手に入れた強欲な人たちによって撒かれた爆弾に逃げ惑う人たちが安全を求めて街に出てくるのである。
街の民は治安が損なわれると逃げ惑う非力な弱者を追い払うことにいとまがないが、逃げなければ生きられない状態は街の人たちが作ったのである。
街の強欲な人間に弱者をそっと見守ることはできないのであろうか?弱者同士の治安が弱者なりに築かれるはずである。

更新日:2018-03-19 07:35:34

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook