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画期的な俳諧詩の形

 貨物船は余白句会でつくり貯めたユニーク句を一句呟き部の主として冒頭に配置し、その後に詩の部分をつける、または二句を詩の呟き部の冒頭と末尾に配置するなどの新形態の詩形を創作した。そしてこの詩を俳諧詩と称した。俳句から発想して、詩的な呟きをコラージュしておかしな面白い分野を創作したのだ。 

 この構成にしたことで異質な文同士のゲーム的なつながり方を作者も読み手も楽しむことができる。とりわけ面白い要素は、予め作って置いた俳句をどう料理して盛り付けるかという作者の手腕が見えて、面白さが倍加するのである。ジグソーパズルのようにぴたりと嵌る場合と、少々ギクシャクしているように感じる場合とがあるが、どちらもいい面白く味わる。 
 また俳句の読み手として、わたしならどういう発想をするかという挑戦も楽しめるのである。別な言い方をすれば読み手参加型の創作詩なのである。

*参考
 貨物船より古い時代に俳諧詩に似た新たな俳句詩に挑戦した人がいた。夏目漱石である。連句の形態を応用した詩を試みた。漱石はこれを俳体詩と名付けた。俳句を組み入れた新体詩という意味である。(漱石は俳体詩と並行してこれに類似する新体詩というジャンルの創作も同時に行っていた。)高浜虚子や漱石の門下生に参加を勧めたが、さほどはやらなかった。(参考:「七つの顔の漱石」出久根達郎著
晶文社刊 2013年)

 夏目漱石全集に漱石が作った俳体詩が15点ほど収納されている。これらは漱石単独で制作したものがあるが、多くは高浜虚子や東洋城と共同制作したものである。漱石の言う俳体詩の構成は、「5・7」、「7.7」または「5・7・5」をそれぞれ一行で書く基本要素とし、これらを4行以上つなげて詩形にしたものである。作者は漱石一人の場合と、二人、三人の場合とがある。高浜虚子らと三人で行うものは連句のようである。簡単に俳体詩を表現すると、連句の決まりを緩くして基本要素を用いて種々のリズムで詩に近づけたものと言えよう。

 これに対して古くからある連句は、必ず二人以上で詠み、「5・7・5」の次に「7・7」を並べ、これらを繰り返す形で、詠み手が交互に詠んで4行以上の長連句にしたものである。特殊なものとして和歌を二人で詠む短連歌がある。

*漱石は俳体詩からもう少し長い文字数の俳句調散文の分野も切り開いた。初期の小説「草枕」である。俳句を文章に描き入れ、またかつて漱石が作って置いた俳句の光景を小説の描写に取り入れている。この小説の文章は、俳句のように小気味よく、リズミカルである。この「草枕」はいわば「俳詩文」であるといえる。

 明治38年に出された手紙(井上微笑宛)に記された俳体詩を例として転載する。作者は漱石一人で、正月の朝に雑煮を三杯食べた後、満足して周りを見て時を過ごし、昼食の羊のすき焼きを作る台所の様子を観察して気楽に歌っている。

タイトル:無題

 元旦や歌を詠むべき顔ならず
    胃弱の腹に三椀の餅
 火燵から覗く小路の静(しずか)にて
    瓶に生けたる梅も春なり
 山妻(やまつま)の淡き浮世と思うらん
    厨の方で根深(ねぶか)切る音
 専念にコンロ扇ぐは女(め)の童
    黄なるもの溶けて鍋に珠(たま)ちる
 じと鳴りて羊の肉の煙る門
    ダンテに似たる屑買(くずかい)がくる


  元旦だが、漢詩を詠む気が起こらない
    胃弱の身でも雑煮餅を三杯食べられた
  こたつで耳を澄ますと通りは静かだ
    花瓶に活けた梅の枝にも春がある
  愚妻はこの世をまあまあと思うようだ
    台所でネギをきる音は調子いい 
  かまどを熱心に煽ぐのは年若い女中
    黄色の塊が解けて鍋の中で跳ねる
  ジジと音がして羊肉の煙が門に流れる
    学のありそうな古紙買いの男が来る
   (匂いに釣られて)
             *ホクサイマチス・訳
 

更新日:2018-03-14 05:04:37

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辻征夫(貨物船)の全俳句と俳諧詩(一部)の解釈