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子規による漱石俳句の評価

●子規による漱石俳句の評価
 明治28年の「文学漫言」で「極めて斬新なもの、奇想天外より来りしもの多し」として漱石俳句について記している。その文章を項目を立てて要点をまとめると次のようになる。*例句は記載されていた俳句の一部に過ぎない。

1)意匠について
  滑稽思想を有す。
 「吉良殿の討たれぬ江戸は雪の中」は蕪村の古典趣味の作句法にならっている。
 「日あたりや熟柿の如き心地あり」は比喩が新鮮に感じられる。
 
 「長けれど何の糸瓜とさがりけり」は「何のへちま(へっちゃら)」と気張って垂れ下がっている糸瓜であることと擬人法を使用している。語呂合わせに滑稽味が感じられる。
 「狸化けぬ柳枯れぬと心得て」は連想の面白さがある。蕪村の「公達に狐化けたり宵の春」の妖怪趣味に習っている。

 *その子規は、当時の漱石のことを新聞「日本」で次のように高く評価していた。(明治30年に書かれた「明治29年の俳句界」と題する文章)
「明治28年初めて俳句を作る。初めてより既に意匠において句法において特色をあらわせり。」と独自路線を行く漱石をしっかり見ていた。そしてその俳句を認めていた。


2)句法について
 或は漢語を用い、あるいは俗語を用い、或は奇なる言い回しを為す。

「冴返る頃をお嫌ひなさるべし」は、敬語を用い、一句全体をせりふのように仕立ててある。
「作らねど菊咲きにけり折りにけり」は、「動詞➕にけり」のくり返しがあり、独特のリズムが生まれている。

 
3)句風の多彩さ、基本の確かさ
 然れども漱石また一方に偏するものにあらず。滑稽を持って唯一の趣向となし、奇警(*並外れて賢いこと)人を驚かすをもって高しとするがごとき者と、日を同うして語るべきにあらず。その句雄健なるものは何処までも雄健に、真面目なるものは何処までも真面目なり。

 「回廊の柱の影や海の月」は夜の宮島の景であろう。神殿の回廊の柱の影が海に黒々と映っている。その海の水面には秋の月が美しく輝いて映っている。構図の確かな写生であるとの評あり。
 「底見ゆる一枚岩や秋の水」は流れの中にある一枚岩、その底の方まで秋の水が澄んでいるので、よく見える。動の水と静の岩の対比が印象的で、「秋の水」の季感がよく出ている。

更新日:2019-07-03 09:54:03

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