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・ 「 内牧温泉」
  秋雨や杉の枯葉をくべる音   
       (あきさめや すぎのかれはを くべるおと)
        (明治32年9月5日)句稿34

 漱石と山川は 内牧温泉の宿を出て阿蘇の原っぱを目指して歩き出した。途中で秋雨がぱらぱらと降り出したが、大したことはないと歩き続けた。この内牧温泉は温泉街ができて一年しか経っていないので、農家と宿屋街が隣接し、混在している。旅館の玄関を出て歩き出すとすぐに農家に出くわした。牛舎もあった。朝の仕事を終えて、これから朝ごはんの準備に入るところであった。
 当時のカマドは台所の外に造られていて何をくべているか道からよく見えた。カマドの煙が家の中に入らないようにするための工夫だ。農家の妻は薪ではないものをカマドの口に入れていた。杉の枯葉の匂いが道に流れてきた。そしてパチパチという杉の葉っぱが弾ける音を漱石は聞いた。
 句意は「秋雨の降る中、道に面した農家のカマドに枯れた杉の葉をくべる音が聞こえてきた」というもの。油分の多い杉の葉の弾ける音が秋雨の降り出した道に快く響いた。
 杉の針状の細い葉っぱは手で触ると痛いが、農婦はその葉っぱを素手で掴んでカマドに押し込むようにくべている。農婦の手は頑丈なのだと漱石は驚きの目で見ていたのかもしれない。

 この句の面白さは、降り出したやや冷たい雨の筋は、鋭い杉の葉の形状と類似していることだ。杉の葉のトゲを気にしない農婦を見習うように漱石たちも阿蘇への道を歩き出した。




・ 「内牧温泉」 
  秋雨や蕎麦をゆでたる湯の臭ひ  
       (あきさめや そばをゆでたる ゆのにおひ)
        (明治32年9月5日)句稿34

 新暦の上では立秋になってもまだ夏の気分である。山が近いので雨が降りやすいのだろう、小雨が降り出した。漱石は高校の同僚の山川と彼の送別旅行にと阿蘇を選んで内牧温泉に来ていた。この温泉郷は一年前に湯が沸いたということで次々に旅館とが建った新興の温泉場。農家も宿の近くにある。漱石は道を歩きながら農家を覗き込んでいた。蕎麦を茹でている家がある。釜の湯の匂いが道まで流れて来ていた。

 もしかしたらこの句の直前に置かれていた俳句「秋雨や杉の枯葉をくべる音」が関連しているのかも。漱石は農家の妻が杉の枯葉を鷲掴みにしてカマドにくべていたのを見ていた。カマドで杉の葉っぱの弾け、その音が道に流れてくる。そのときついでにそのカマドから流れ出る匂いを嗅いでいた。この家では朝から蕎麦を食べるのだとすぐに思った。

 朝の一仕事を終えてこれから朝ごはんなのだ。まだ暑い季節であり、気温が上がる前に一仕事していた。農家の夫は汗をかいた体はまだ熱く、冷たいそばがいいと言ったのだろう。

 この句の面白さは、「秋雨」と「蕎麦」が組み合わされていることだ。「秋雨」は「春雨」につながり、この句はそばつながりの句であり、食べ物が二種類も盛られていることになる。胃弱でも食欲が旺盛な漱石先生らしい俳句になっている。





・ 秋高し吾白雲に乗らんと思ふ
       (あきたかしわれしらくもにのらんとおもふ)おのはっぱ
        (明治29年11月)句稿20 

 掲句の直前句は「空に一片秋の雲行く見る一人」である。漱石が地上から秋空をゆく一片の雲を眺めている。見ているうちに、漱石先生はその白い雲に乗って見たくなった。乗れそうな気がして来たのだ。今抱えている難題はスッキリとは解決できそうもないが、何とかなるだろうと将来に自信が持てたのだろう。

 一番最初に雲に乗りたいと思ったのは誰であろう。雷の鬼である。そして俵屋宗達であろう。
 

更新日:2021-05-26 07:07:07

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