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俺、朝香 澄(すみ)は今年で30歳になる。
大学を卒業した後、しばらく職を転々とし24歳の時に今の仕事を始めた。
ヤクザを紹介する仲介業者だ。
ちなみに同業者はいない。今のところ俺しかこんな仕事をする変わり者はいないようだ。

「ただいま」

古びたテナントビルの3階にある事務所に戻ると、たった一人の社員である鈴木が顔を上げて言った。

「おかえり」

俺より二つ歳上の32歳、鈴木 拓郎である。
当初は社員など雇うつもりはなかったのだが、どうしてもと頭を下げられて仕方なく働いてもらっている。訳ありの様子だったが理由は聞いていない。

「早かったね」
「畠山 雄之助が事故死したらしいぞ?」
「……うそ」

鈴木が眼鏡の奥の瞳を丸くして驚いている。

「嘘じゃない。津村さんの速報。まだ大っぴらにはされてないと思う」

畠山 雄之助はこの事務所があるシマ、矢村組の二代目である。
組織としては小規模だが、矢村組の果たす役割は大きい。隣り合う蒔田組と千鶴会は昭和の初めの頃から犬猿の仲で、矢村組は二つのシマを分かつように細長く存在する。矢村組を立ち上げた先代が昔仲裁に入り、それが今も引き継がれているのだ。

「や…やばくない?」

鈴木が声を震わせて立ち上がった。
怖がる気持ちはよくわかる。
衝立のような役割をしていた矢村組に何かあれば、父の代から因縁深い双方の組が衝突する可能性がある。そうなれば言わずがなこの事務所がある矢村組のシマは戦場と化すだろう。

「うーん…しばらく外に引っ越すか」
「ああ、その方がいい!」

そう言い放つと同時に鈴木はpcの電源を落とした。善は急げだ。俺もすぐに知り合いの引越し業者を手配した。携帯を肩に挟みながら棚にある書類を机に積んでいく。
事務所といっても六畳もない小さなスペースだ。小一時間程度で段ボール箱7つに全てが収まった。
時間通りに業者が来て段ボール箱を運び出す。
俺も手伝って重い段ボール箱を軽トラに積み込んでいると、見知った顔が声をかけてきた。

「あ…れ?朝香さんじゃん。なに?まさかどっか行くつもりっすか?!」

そう言って顔を青くしている若者はミナミのという青年だ。確か今年で23歳になる。彼は矢村組の木ノ下という若頭の舎弟だが下っ端だ。自分が支えている組長の死を知っているかは怪しい。もしかしたら津村さんの情報の方が早かったかもしれないので、俺は慎重にならざるおえなかった。

「いや…戻ってくる。戻ってきたいと思ってるんだけどなぁ…」
「あ?」
「実はな、ゴキブリが大量発生した」
「え?」
「落ち着いて仕事ができないんだ。もうあちこちでカサカサカサカサカサ言うわけ」
「う…」

ミナミは盛大に顔を歪めた。どうやらこんな下手な嘘でも信じてくれたようだ。

「もうどうしようもなくてさ、大規模な駆除に乗り出したんだ。それが終わったらすぐに戻ってくる」
「……間違っても他の組と独占契約を結んでないな?」
「結ばない。俺はどことも結ぶつもりはない。そう二代目に誓ったぜ?」

言ってからこれを言うのは不味かったかと後悔した。二代目が亡くなったことを知っている俺は、後々あらぬ疑いをかけられる可能性がある。だがここで言い訳をしても面倒だ。バレて引き止められたら元も子もないので、ミナミを適当にあしらって車を出した。とりあえず危険地帯からの脱出が最優先だ。

更新日:2018-05-02 18:59:05

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