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PART 2

 十字架操法は僕に闇を生きる術を与えた。其れは人殺しの術を学ぶだけでなく、闇を生きる人間も人殺しをしない人間と殆ど変わりがしない事も。

 だからって人殺しを正当化する理由には成らない。人を殺した以上は何時か報いを受ける日が来る。平時の人殺しは御法度。戦時のように国を守る為に振舞うならまだしも僕がやるのは国の為ではなく、生きる糧として振舞う物。何れ報いは受けるだろう……其の日は何時に成るか知らないが。

 そんな風に考えるのは別に今が初めてではない。平常心が揺らぐ度に考える。僕は昔から不思議に思う事が一つある。戦時中に人を殺しても罪を問われないのに平時中に人を殺したら如何して罪に問われるのか?

 此れに関する答えは至極単純。戦時中は国民の帰るべき郷土を守り抜く為に侵略者を打ち倒す。此れは戦国時代より前だろうと縄文時代及び弥生時代であろうとも依然として変わらない真理。此れを無視して反戦平和を語る事は出来ない。僕は暗殺術を通じて感じて行く。一方で平時の殺人は罪に問われる。単純で殺人を犯せば誰が死体を処理する? 死体が出る事でどれだけの交通機関に悪影響を出す? 人道を無視して合理的に導き出せばわかる筈だ。死体は衛生上汚い。放置するだけで放たれる異臭は周囲の鼻のみならず健康状態を確実に害する。処理だって大変な作業。血で汚れた個所を特殊な液で流す。下手をすると剥がしてしまう恐れだってある。こうゆう意味で平時では人殺しは非効率なのだ。人道を除外して考えても死体が出るだけで近所迷惑にも成る。だからこそ平時の殺人は御法度なのだ。

 だが、平常心が揺らぐ時は如何しても人道を考えてしまう。今回の話だってそうだ。彼女が首を突っ込まなければ僕は合理的に人殺しについて考える事が出来ただろうに。

 全く僕にヒューマニズムを思い出させるなんて……其の彼女は実に罪深い。今回の話ではそんな彼女が僕を追っかけるお話さ。然も彼女だけじゃなく、裏十字軍迄首を突っ込むのだから溜まった話ではない!

更新日:2018-03-26 09:34:47

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