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第七章 転機
第一話 事件-1
カラギ・ツヒに連れられて、シンがスクイラに旅立ってから八日後であった。
インは、屋敷の庭先で薪割りをしていた。沼の森の戦いで死にそこなって以来、インは、積極的に肉体の鍛錬と武術の稽古をするようになっていた。反射神経が鈍く、大してモノにならないことは十分に分かっていた。しかし、あのときは運よくカコとマトが救ってくれたものの、最後に自分の命を守ってくれるのは、自分自身しかないことが骨身に染みていた。
横では、マトが次々と薪を立て、インが割った薪はカコが拾って、納屋の方へと運んでいた。マトの前では、インもカコもいつもどおりであり、あの水車小屋での出来事は微塵も感じさせるものではなかった。インも敢えてマトに話さなかったし、カコがマトに何か話した気配もなかった。一方、寺でのことは、二人ともマトに話していた。
「ふぅ~」
北風に晒されているにも関わらず、インの額には玉粒の汗が噴き出していた。
「そろそろ代わりましょうか?」
マトが笑いながら振ると、インは斧をマトの方に差し出した。
「頼む。流石に疲れた」
斧を渡すと、「やれやれ」と言わんばかりに、庭に置かれた長椅子に腰を下ろした。カコが井戸から木の椀に水を汲んできて、インに差し出した。椀が渡される瞬間、インとカコの指と指とが触れ合ったが、二人は目を合せなかった。
マトが威勢よく薪を割り始めたところへ、門をくぐって、身なりの良い三人の男たちが入ってきた。
「……」
「徴税吏のようですね……」
カコが言ったように、三人の男は、シュナ王室が、各地の豪族、地主たちから税を徴収するために派遣する官吏であった。しかし、彼らが仕事をすべき収穫時期はとっくに過ぎており、今年も、レトナ家からの徴税は終わっていた。役目柄がそうさせるのか、徴税吏は高飛車な人物が多く、実際に、ツヒがほとんどの応対はしているものの、インは嫌いで仕方なかった。奴隷時代の主キーロ・ボワイを、思い出させたからであった。
とは言っても、いつものとおり、インは起ち上がり三人の前に進み出て、膝を屈した。徴税吏は、国王の名代という建前であった。この建前が、なおさら、彼らを尊大にしていた。
徴税吏の一人が懐から書状を取り出し、朗読を始めた。
「……レトナ・インに申しつける。昨今の王国内での叛乱軍の跳梁、まことに多大なるがゆえに、租税の徴収思うにまかせぬものあり。したがって、新たに、各穀五分ずつの拠出をすべきこと……王 シュナ・デズル」
朗読が終わると、徴税吏は、その書状をインに向けて広げた。
(各穀五分ずつ……新たにって? この前、取っていったばかりじゃないか……)
黙って顔を上げ書状を見たが、インはほとんど文字が読めなかった。
「では、遺漏なきように、確かに申しつけたぞ!」
命令書を懐にしまうと、徴税吏は「クルリ」後ろを向いた。
「待って下さい!」
インが腹に力を込めた声で、三人を呼び止めた。怪訝そうな表情で、徴税吏たちは半身で振り返った。
「何か?」
「はい……先日徴収された分で、私たちももう一杯です。今年はそれほど収穫も良くなく、百姓たちにも無理をさせました。これ以上の徴収は、許して下さい……」
インの言葉で、徴税吏たちの顔色が「サッ」と変わった。
「何? 応じられぬと言うのか!?」
これまで、ツヒが対応するのを横で黙って見ていただけであったが、自分が今しているように、徴税吏に対してツヒが口答えする様子は、見たことはなかった。しかし、インにとっては、国王の名代であろうと奴隷の主であろうと、大した違いは無かった。最底辺にいた者にとって、すべては自分より上の支配者であった。
「無理です、と申し上げているのです!」
徴税吏たちは、インに向かって一歩進み出た。それぞれ眉も目も、怒りで釣り上がっている。
「無理かどうかは、我らが国王の意を受けて判断すること。小さな地方領主ごときが決めることではない」
「百姓たちには、もう出す余裕はありません。これ以上出させると、飢え死にをさせることになります!」
インの言っていることは、真実であった。今年の収穫は良くなく、平年の七割ほどのできであった。そのため、レトナ家では、領主としての取り分を半分以下にして、何とか秋の徴税をしのいだのであった。それでようやく、百姓たちも越冬ができるという案配であった。
カラギ・ツヒに連れられて、シンがスクイラに旅立ってから八日後であった。
インは、屋敷の庭先で薪割りをしていた。沼の森の戦いで死にそこなって以来、インは、積極的に肉体の鍛錬と武術の稽古をするようになっていた。反射神経が鈍く、大してモノにならないことは十分に分かっていた。しかし、あのときは運よくカコとマトが救ってくれたものの、最後に自分の命を守ってくれるのは、自分自身しかないことが骨身に染みていた。
横では、マトが次々と薪を立て、インが割った薪はカコが拾って、納屋の方へと運んでいた。マトの前では、インもカコもいつもどおりであり、あの水車小屋での出来事は微塵も感じさせるものではなかった。インも敢えてマトに話さなかったし、カコがマトに何か話した気配もなかった。一方、寺でのことは、二人ともマトに話していた。
「ふぅ~」
北風に晒されているにも関わらず、インの額には玉粒の汗が噴き出していた。
「そろそろ代わりましょうか?」
マトが笑いながら振ると、インは斧をマトの方に差し出した。
「頼む。流石に疲れた」
斧を渡すと、「やれやれ」と言わんばかりに、庭に置かれた長椅子に腰を下ろした。カコが井戸から木の椀に水を汲んできて、インに差し出した。椀が渡される瞬間、インとカコの指と指とが触れ合ったが、二人は目を合せなかった。
マトが威勢よく薪を割り始めたところへ、門をくぐって、身なりの良い三人の男たちが入ってきた。
「……」
「徴税吏のようですね……」
カコが言ったように、三人の男は、シュナ王室が、各地の豪族、地主たちから税を徴収するために派遣する官吏であった。しかし、彼らが仕事をすべき収穫時期はとっくに過ぎており、今年も、レトナ家からの徴税は終わっていた。役目柄がそうさせるのか、徴税吏は高飛車な人物が多く、実際に、ツヒがほとんどの応対はしているものの、インは嫌いで仕方なかった。奴隷時代の主キーロ・ボワイを、思い出させたからであった。
とは言っても、いつものとおり、インは起ち上がり三人の前に進み出て、膝を屈した。徴税吏は、国王の名代という建前であった。この建前が、なおさら、彼らを尊大にしていた。
徴税吏の一人が懐から書状を取り出し、朗読を始めた。
「……レトナ・インに申しつける。昨今の王国内での叛乱軍の跳梁、まことに多大なるがゆえに、租税の徴収思うにまかせぬものあり。したがって、新たに、各穀五分ずつの拠出をすべきこと……王 シュナ・デズル」
朗読が終わると、徴税吏は、その書状をインに向けて広げた。
(各穀五分ずつ……新たにって? この前、取っていったばかりじゃないか……)
黙って顔を上げ書状を見たが、インはほとんど文字が読めなかった。
「では、遺漏なきように、確かに申しつけたぞ!」
命令書を懐にしまうと、徴税吏は「クルリ」後ろを向いた。
「待って下さい!」
インが腹に力を込めた声で、三人を呼び止めた。怪訝そうな表情で、徴税吏たちは半身で振り返った。
「何か?」
「はい……先日徴収された分で、私たちももう一杯です。今年はそれほど収穫も良くなく、百姓たちにも無理をさせました。これ以上の徴収は、許して下さい……」
インの言葉で、徴税吏たちの顔色が「サッ」と変わった。
「何? 応じられぬと言うのか!?」
これまで、ツヒが対応するのを横で黙って見ていただけであったが、自分が今しているように、徴税吏に対してツヒが口答えする様子は、見たことはなかった。しかし、インにとっては、国王の名代であろうと奴隷の主であろうと、大した違いは無かった。最底辺にいた者にとって、すべては自分より上の支配者であった。
「無理です、と申し上げているのです!」
徴税吏たちは、インに向かって一歩進み出た。それぞれ眉も目も、怒りで釣り上がっている。
「無理かどうかは、我らが国王の意を受けて判断すること。小さな地方領主ごときが決めることではない」
「百姓たちには、もう出す余裕はありません。これ以上出させると、飢え死にをさせることになります!」
インの言っていることは、真実であった。今年の収穫は良くなく、平年の七割ほどのできであった。そのため、レトナ家では、領主としての取り分を半分以下にして、何とか秋の徴税をしのいだのであった。それでようやく、百姓たちも越冬ができるという案配であった。
更新日:2018-03-06 17:14:02