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第六章 初恋
第一話 依頼
惨敗であった。正規軍もレトナ、スクイラの各軍も多くの戦死者を出して、命からがら山を越えて逃げ帰ってきた。イン自身も、カコとマトがいなかったら、確実に落命しているところであった。助かったとはいえ、右太ももに受けた槍傷は深く、しばらくは歩けない状態であった。
カコとマトがインの寝室に呼ばれたのは、帰還して五日ほどしてからであった。土の者が座敷に上げられること自体、他ではないことであったが、主の寝室にまで呼ばれることはさらに前代未聞であった。ただ、カコとマトの二人にとって、最早そのことは驚くに値しなかった。
「ささ、まずは喉を潤して」
シンが入れた茶を、インは二人に勧めた。シンとても、弱小豪族のレトナ家より家格が上である名門スクイラ家の出身であり、最初は、このようなインの振舞いに違和感があった。しかし、今や事実上の夫となっているインも、触れこみは解放奴隷とはいえ、真実は脱走奴隷であることは分かっていた。また、この正体不明なインという遥かに年下の男のしていることが、面白く思えてきたので、黙って、土の者たちとのやり取りを観察していた。
「ありがとうございます。足の方はいかがですか?」
茶の入った椀をおし頂きながら、マトが尋ねてきた。
「うん。医者によると、筋は切っていないし、応急処置が良かったので、元のように歩けるそうだ。改めて礼を言いたくて、今日は呼んだんだ」
「そうですか。それは何よりです」
カコが、いかにも柔和そうな笑顔で応えた。振り返りざまの一刀で、襲いかかってきた敵の息の根を止めた女性の表情とは思えない。
「契約外じゃないの?」
インが茶碗に口を近づけつつ、上目づかいで二人に尋ねた。
「は?」
マトもカコも、動きを止めた。
「だって、あんたらの首領とシュナ国との契約内容は、正規軍とこことのつなぎ、そして情報収集までであって、戦いへの参加までは含んでいなかった。だから、山を越えた時点で、二人とも戦列を離れたんでしょ?」
カコもマトも少し困った表情になったが、互いに顔を見合わせて微笑み出した。
「?」
「はい。確かに、我らとシュナ国との契約は、イン様のおっしゃるとおりです。ただ、あれはおまけとでも受け取って頂ければ……」
マトが、笑いながら応えた。
「おまけ?」
「はい。漁師から得意先が魚を買う場合でも、十尾買えば、一尾はおまけをするものです」
「すると、俺の命は一尾の魚か!」
「いえ、決してそういう意味では!」
カコが、慌てた。
「そう言えば、森の中には、網もずいぶんと仕掛けられていたな。俺たちは網にかかった雑魚の大群だったわけだ。ハッハッハ!」
インの爆笑に釣られて、マトとカコも大笑いし出した。
「ウフフフ……いや、しかし、冗談抜きで、あれは見事な戦術でした。どうも、ただの百姓が立てた戦術とは思えません……と言うより、最近の叛乱軍は、以前とかなり違ってきているように思えます」
カコは、真顔になっていた。
「違う?」
「はい。王家の正規軍を思わせるような軍事行動です。どうやら、兵法を心得た軍師を擁しているように見えます」
「兵法を心得た軍師か……」
「今後は、十分に気を付けて対峙しなければならないでしょう。もう、ただの烏合の衆と思ってはなりません」
「うん。胸に刻んでおく。これだけ痛い目に遭ったしな……」
包帯が巻かれた右太ももをさすりながら、インが笑って頷いた。
惨敗であった。正規軍もレトナ、スクイラの各軍も多くの戦死者を出して、命からがら山を越えて逃げ帰ってきた。イン自身も、カコとマトがいなかったら、確実に落命しているところであった。助かったとはいえ、右太ももに受けた槍傷は深く、しばらくは歩けない状態であった。
カコとマトがインの寝室に呼ばれたのは、帰還して五日ほどしてからであった。土の者が座敷に上げられること自体、他ではないことであったが、主の寝室にまで呼ばれることはさらに前代未聞であった。ただ、カコとマトの二人にとって、最早そのことは驚くに値しなかった。
「ささ、まずは喉を潤して」
シンが入れた茶を、インは二人に勧めた。シンとても、弱小豪族のレトナ家より家格が上である名門スクイラ家の出身であり、最初は、このようなインの振舞いに違和感があった。しかし、今や事実上の夫となっているインも、触れこみは解放奴隷とはいえ、真実は脱走奴隷であることは分かっていた。また、この正体不明なインという遥かに年下の男のしていることが、面白く思えてきたので、黙って、土の者たちとのやり取りを観察していた。
「ありがとうございます。足の方はいかがですか?」
茶の入った椀をおし頂きながら、マトが尋ねてきた。
「うん。医者によると、筋は切っていないし、応急処置が良かったので、元のように歩けるそうだ。改めて礼を言いたくて、今日は呼んだんだ」
「そうですか。それは何よりです」
カコが、いかにも柔和そうな笑顔で応えた。振り返りざまの一刀で、襲いかかってきた敵の息の根を止めた女性の表情とは思えない。
「契約外じゃないの?」
インが茶碗に口を近づけつつ、上目づかいで二人に尋ねた。
「は?」
マトもカコも、動きを止めた。
「だって、あんたらの首領とシュナ国との契約内容は、正規軍とこことのつなぎ、そして情報収集までであって、戦いへの参加までは含んでいなかった。だから、山を越えた時点で、二人とも戦列を離れたんでしょ?」
カコもマトも少し困った表情になったが、互いに顔を見合わせて微笑み出した。
「?」
「はい。確かに、我らとシュナ国との契約は、イン様のおっしゃるとおりです。ただ、あれはおまけとでも受け取って頂ければ……」
マトが、笑いながら応えた。
「おまけ?」
「はい。漁師から得意先が魚を買う場合でも、十尾買えば、一尾はおまけをするものです」
「すると、俺の命は一尾の魚か!」
「いえ、決してそういう意味では!」
カコが、慌てた。
「そう言えば、森の中には、網もずいぶんと仕掛けられていたな。俺たちは網にかかった雑魚の大群だったわけだ。ハッハッハ!」
インの爆笑に釣られて、マトとカコも大笑いし出した。
「ウフフフ……いや、しかし、冗談抜きで、あれは見事な戦術でした。どうも、ただの百姓が立てた戦術とは思えません……と言うより、最近の叛乱軍は、以前とかなり違ってきているように思えます」
カコは、真顔になっていた。
「違う?」
「はい。王家の正規軍を思わせるような軍事行動です。どうやら、兵法を心得た軍師を擁しているように見えます」
「兵法を心得た軍師か……」
「今後は、十分に気を付けて対峙しなければならないでしょう。もう、ただの烏合の衆と思ってはなりません」
「うん。胸に刻んでおく。これだけ痛い目に遭ったしな……」
包帯が巻かれた右太ももをさすりながら、インが笑って頷いた。
更新日:2018-02-12 14:06:51