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 しばらくして、ツヒが大座敷に参上した。すでに膳は据えられており、インの手前にシンが座り、あと三人分の前が空席のまま並んでいた。下座には、めし炊きが控えている。
「……」
 座敷内を眺めるツヒに向かって、インが口を開いた。
「たまには、日頃の労をねぎらいたくて……一緒にどうですか?」
 ツヒは、インとシンを眺めた。何も仕事を期待されていないインが、昼間から屋敷を一歩も出ずに、長時間何をしていたのかは、二人の関係を知るツヒにとって容易に想像できた。シンの気だるそうな物腰とトロンとした目が、ツヒの想像を裏付けていた。ツヒは、空席となっている二つの膳を見遣った。
「他は?」
「マトとカコの分です」
 インの言葉が終わるか終わらぬかのうちに、大座敷の戸が開いて、二人の土の者たちが入ってきた。
「お呼びのようで……」
 カコがひざまずき、マトがそれに続いた。二人ともシュナゴールからの修行僧の衣装は着替え、小ぎれいな農民服に着替えていた。
「うん。歓迎の意味で、一緒に夕餉でもと思って。こちらは、養母に当たるシン。さあ、座ってよ。酒はいけるの?」
 楽しそうな笑顔を見せながら、インは二人に座を勧めた。手には、白濁酒の大瓶の首が握られている。
 しかし、インの勧めにも関わらず、二人は困惑の表情を示し、互いに顔を見合わせた。
「……どうしたの? 遠慮しなくていいからさ」
 インが怪訝そうにさらに座を勧めるが、二人は改めてうつむいた。
「酒はダメ?」
「いや、そういうことでは……」
 マトが小さな声で返答して、助けを求めるようにツヒの方を一瞥した。その僅かな視線に応じて、ツヒが口を開いた。
「お館さま。普通、土の者と我らは、食事を供に致しません」
「なぜ?」
 キョトンとした顔で、インが尋ねた。
「なぜ、と言うか……昔からのきまりです」
「誰が決めたの? 法で?」
「いや、そういうわけでは……」
「なら、構いませんね? ここでは、俺が主だし」
「はぁ。それは……」
「ならいい。ささ。二人とも、早く座について!」
 インに勧められ、マトとカコは、おずおずと膳の前に座った。シンはと言えば、まだ体内に残っているインの余韻を感じているかのように、黙って膳に並んだ惣菜を見詰めているだけであった。
 めし炊きが、麦めしと汁を膳に並べる。インは起ち上がって、シン、ツヒ、マト、カコと、順に酌をして回った。この振舞いに、マトとカコはさらに恐縮しながら、盃を差し出した。
 宴は始まり、あまり飲めず疲れていたシンは、腹を満たすと早々に退出していった。インは、マトとカコに色々と話しかけた。初めは緊張していた二人であったが、酒が回るにつれて、親しくインと話すようになっていった。そんな光景を、盃を口にしながらも、ツヒは鋭い目つきで眺めていた。
 一通り食事も終わると、ツヒは箸を置いた。
「明日早くから、武器と兵糧の準備がありますので、私はこれにて……」
 小さく頭を下げると、インが引き留める間もない素早さで戸を開けて退出した。
「ご苦労さん!」
 インは赤くなった笑顔でツヒの背中越しに上機嫌で言葉をかけると、酒瓶をもって二人の前に進み出て「ドッカ」と座った。
「ささ、大丈夫でしょ? 今夜は、飲み明かそう!」
 そう言いながら、二人の盃になみなみと白濁酒を注ぎ込んだ。デーラ・ルコやジコマ・コシたち、悪友たちと飲むときとまったく同じになっていた。
 二人とも、元々、地べたで飲むしかない身分だが、酔い、なおかつ、インの様子が分かってくると、日常と同じにようになっていった。ただ、インが酌をするたびに半袖口から覗く、奴隷出身を示す刺青は、当然のことながら、土の者である二人の視界に入り込んでいた。
「で、それからどうしたの?」
 インが目を輝かせながら、マトに話の続きをねだった。
「はい、床下に潜んでいたところ、床がギシギシと軋みだして、あのときの声が……」
「ハハハハハ!」
 インは、手にした盃から白濁酒がこぼれるのも厭わず、転げるように爆笑しだした。カコは赤くなった顔をさらに赤らめながら、口を押さえて噴出した。

 大きな笑い声を背にしながら、ツヒは屋敷の玄関に降り、閉じられた大座敷の戸の方を一度振り返った。しかし、再び前を向くと、暗くなった夜道に向かって歩き出した。

更新日:2018-01-19 18:11:19

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