• 16 / 106 ページ

第二章 戦と豪族

第一話 二重の不義理
「イン。ちょっと来て頂戴!」
 薬使いの秘技を見せられた翌日、庭ではき掃除をしているインを、屋敷の中からシンが呼んだ。
「はい」
 インが縁側に行くと、奥からシンが出てきた。
「昨日、調度棚が届いて、置いてもらったのだけど、場所がよくなくて……動かすから手伝って」
 いつもと異なり、後ろで束ねていない長髪を手ぐしでかきあげながら、シンが笑顔で語りかけてきた。インは、あの炊事場でのことを思い出した。主人のカインも教育係のコシも、首都シュナゴールに行ったままであり、戻るのは3日後である。インの心臓の鼓動が速まった。
「……」
 シンは、奥から縁側に進み出てきて、相変わらずの笑顔でインを覗き込む。インは、生唾を飲み込んだ。
「(試してみよう)……棚を動かすのなら、ルコも呼んできます。今、馬に水をやるため、小川に向かって出たばかりですから、少し待っていて下さい」
 庭の隅にある物置小屋にほうきをしまいながら、インはわざとらしい提案をした。ついでに、シンからよく見えるように周囲を見回すが誰もいない。
「あら、二人だけで大丈夫よ。せっかく馬たちを引いて出たのに、ルコに悪いじゃない」
 呼吸の合ったお約束のやり取りになっていた。「二人だけ」という言葉が、艶めかしく聞こえた。インの喉が渇いてきた。
「承知しました」
「裏の戸口から上がってちょうだい」
「はい」
 インは、庭先から見て屋敷の裏側の戸口に回った。屋敷に上がるには、この縁側からでも炊事場からでも、よいはずである。実際に、家の子が屋敷内の仕事をするときは、いつもそうしていた。これらのルートと裏の戸口との違いは、出入りのときに他からほとんど見られないという点と、シンたち夫婦の居間に近いという点であった。棚が居間にあることだけを考えると、この進入ルートは合理的である。
 裏の戸口を開けると、シンはすでにそこで待っていた。
「失礼します」
「どうぞ」
 インは戸を閉めて、履物を脱いだ。縁側や炊事場から入ると、そこに脱いだ履物が残るが、ここなら、そのような痕跡は残らない。
「こちらよ」
 シンに案内されて入った部屋には、寝台が置いてあった。ただ、夫婦二人で寝るには、少し狭い感があった。やはり、噂通り、夜は別々のようであった。
 寝台の横にはそれらしき調度棚が置いてあるが、イン一人ででも十分に運べる大きさである。
「これをもっと、この隅いっぱいにずらしたいの。私がこちらを持つから」
「……これなら、自分一人で十分です」
「あら、頼もしいわ!」
 シンの顔が喜色に溢れた。はるかに目上であったが、可愛らしさを感じた。
「これでいいですか?」
「うん。ありがとう」
 シンはそう言いながら、横の棚から菓子包みを出してきて、インに差し出した。
「美味しいのよ。食べてちょうだい」
 そう言いながら、シンはインの肩に手をかけた。その手には力が入っており、そのままインを寝台に座らせた。
「ごちそうさまです」
 インは菓子をつまんで、口に入れた。その間に、シンも寝台に腰をかけた。二人の太ももが触れ合う距離であった。
「私も頂こう」
 インが手にもった菓子包みに、シンも指を伸ばす。二人の二の腕が触れ合う。
(お館さまには、ひろってもらった恩義がある……そして、この人はその方の妻……)
 インはシンから目を反らし、うつむいた。その表情には、この内心の葛藤がありありと滲み出ていた。シンは、そんなインの顔を真顔で見つめていたが、インを促すかのように、そのまま寝台の上に仰向けになった。
 インがシンの上に覆いかぶさると同時に、シンは待ちかねたかのように、両腕をインの背中に回した。

更新日:2017-11-03 09:25:25

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook

クラムの物語 -カース・イン- 第一巻 革命立国