- 1 / 50 ページ
第1部 1
「ただいまー」
お盆休みのため実家に帰省した小陽(こはる)は、面している道路に街灯が少ないために夜の闇に溶け込み気味の玄関を入った。
本当は、もっと早い時間に来れるつもりでいたのだが、電車が混み過ぎていて、乗る予定だった便の何本も後の便に、やっと乗れたのだ。
入った瞬間、
(……あれ? )
玄関に鍵は掛かっていなかった様子なのだが、家の中は暗く静まり返り、イイイイイイイイイイ……と、耳鳴りなのか電化製品か何かの発する音なのか区別のつかない静寂の音だけが聞こえる。
(鍵かけ忘れて出掛けちゃったのかな……? )
そんなふうに考えながら玄関を上がり、廊下をほんの数歩 進むと、玄関からは階段の陰になって見えないダイニングのガラス扉に明かりが見えた。
その時、ガラス扉が開き、3つ年下、13歳の妹・星空(せいら)が仏頂面で出てきた。
(あ、いたんだ……)
星空は、大股早歩きで小陽の脇を通り過ぎ、玄関で靴を履いてドアを開ける。
時刻は、もう19時過ぎだ。
「っ? どこ行くのっ? 」
もう こんな時間なのに、と驚き、追おうとした小陽の鼻先で、
(っ! )
ドアは閉まる。
(お父さんとお母さんは、どうして黙って行かせるのっ? )
小陽は踵を返し、父や母がいると思われるガラス扉を入った。
そこに父はおらず、母がひとり、ダイニングテーブルで食事をしていた。
その向かい側には、酷く中途半端に食い散らかされた食器類。そのうち茶碗と箸が星空専用の物であることから、そこで食事をしていたのが星空であると分かる。
母は無表情で静かに食事を続け、食べ終えると、フワッと立ち上がり、自分の物と星空の分の食器をまとめ、手に持ってキッチンへ。
小陽は、母のすぐ傍をついて歩く。
静かに静かに、やはり無表情で皿を洗い片付ける母。
やがて片付け終え、キッチン、ダイニング、と、順に明かりを消しつつ廊下に出て、明かりをつけず暗いままの廊下、階段を、まるで幽霊のようにフワフワ……と音も無く歩き、2階の寝室へ、スウッと吸い込まれていった。
(…お母さん……。どうしちゃったの……? )
小陽の知っている母とは まるで別人のようなその様子に、心配になりながら、ひたすらついて歩く小陽の目の前、母は足元からゆっくりと崩れ、自分のベッドと父のベッドの狭い隙間にペタンと座って正面のサイドボードに腕を伸ばし、上に置かれた木の縁のシンプルなフォトフレームを手に取った。
そのフォトフレームの中では、小陽が微笑んでいる。
「…小陽……」
注意深く聞かなければ聞こえないほどの小さな声で、母は小陽の名を呼び、フォトフレームの小陽を抱きしめた。
(ホントに、どうしちゃったんだろ……? )
考えて、小陽はすぐにハッとした。
(もしかして、あの日から ずっとこんななの……? )
あの日、とは、小陽が、小陽の今いる、そして両親や妹の暮らす この世界、肉体のある人々が生きる、ここ、物界(ぶっかい)で肉体の死を迎えた日のこと。
そう、先程 小陽は、母の様子を、まるで幽霊のよう、と表現したが、ここ物界で一般的に言うところの幽霊、なのは、本当は小陽のほうなのだ。
野原小陽(のはらこはる)は49日前に肉体の死を迎え、肉体の無い人々の生きる世界・心界(しんかい)へ引っ越した。
今は、お盆のため帰省している。
四十九日の後に最初に訪れるお盆・初盆だ。
小陽は生まれつき心臓が上手く機能せず、出生後間もなく、医師から、半年も生きられないだろうと宣告を受けていた。
それが どうしたワケか、その心臓は16年間も持ち堪えた。
もちろん、健常者のようには生活できない。ずっと病院暮らしで、たまに許可をとって両親と妹の暮らす家に外泊させてもらう以外は、外に出掛けることも無い。しかも車椅子だ。
16年も持ったのは、そのためかも知れない。また、ある程度の年齢になった時に、自分の体について きちんと説明されていたのも良かったのだろう。自分でも気をつけることが出来たから……と言っても、隠れてコソコソ夜更かししたりしない、とか、何かをする前には必ず ひと呼吸おくとか、その程度のものだが。
お盆休みのため実家に帰省した小陽(こはる)は、面している道路に街灯が少ないために夜の闇に溶け込み気味の玄関を入った。
本当は、もっと早い時間に来れるつもりでいたのだが、電車が混み過ぎていて、乗る予定だった便の何本も後の便に、やっと乗れたのだ。
入った瞬間、
(……あれ? )
玄関に鍵は掛かっていなかった様子なのだが、家の中は暗く静まり返り、イイイイイイイイイイ……と、耳鳴りなのか電化製品か何かの発する音なのか区別のつかない静寂の音だけが聞こえる。
(鍵かけ忘れて出掛けちゃったのかな……? )
そんなふうに考えながら玄関を上がり、廊下をほんの数歩 進むと、玄関からは階段の陰になって見えないダイニングのガラス扉に明かりが見えた。
その時、ガラス扉が開き、3つ年下、13歳の妹・星空(せいら)が仏頂面で出てきた。
(あ、いたんだ……)
星空は、大股早歩きで小陽の脇を通り過ぎ、玄関で靴を履いてドアを開ける。
時刻は、もう19時過ぎだ。
「っ? どこ行くのっ? 」
もう こんな時間なのに、と驚き、追おうとした小陽の鼻先で、
(っ! )
ドアは閉まる。
(お父さんとお母さんは、どうして黙って行かせるのっ? )
小陽は踵を返し、父や母がいると思われるガラス扉を入った。
そこに父はおらず、母がひとり、ダイニングテーブルで食事をしていた。
その向かい側には、酷く中途半端に食い散らかされた食器類。そのうち茶碗と箸が星空専用の物であることから、そこで食事をしていたのが星空であると分かる。
母は無表情で静かに食事を続け、食べ終えると、フワッと立ち上がり、自分の物と星空の分の食器をまとめ、手に持ってキッチンへ。
小陽は、母のすぐ傍をついて歩く。
静かに静かに、やはり無表情で皿を洗い片付ける母。
やがて片付け終え、キッチン、ダイニング、と、順に明かりを消しつつ廊下に出て、明かりをつけず暗いままの廊下、階段を、まるで幽霊のようにフワフワ……と音も無く歩き、2階の寝室へ、スウッと吸い込まれていった。
(…お母さん……。どうしちゃったの……? )
小陽の知っている母とは まるで別人のようなその様子に、心配になりながら、ひたすらついて歩く小陽の目の前、母は足元からゆっくりと崩れ、自分のベッドと父のベッドの狭い隙間にペタンと座って正面のサイドボードに腕を伸ばし、上に置かれた木の縁のシンプルなフォトフレームを手に取った。
そのフォトフレームの中では、小陽が微笑んでいる。
「…小陽……」
注意深く聞かなければ聞こえないほどの小さな声で、母は小陽の名を呼び、フォトフレームの小陽を抱きしめた。
(ホントに、どうしちゃったんだろ……? )
考えて、小陽はすぐにハッとした。
(もしかして、あの日から ずっとこんななの……? )
あの日、とは、小陽が、小陽の今いる、そして両親や妹の暮らす この世界、肉体のある人々が生きる、ここ、物界(ぶっかい)で肉体の死を迎えた日のこと。
そう、先程 小陽は、母の様子を、まるで幽霊のよう、と表現したが、ここ物界で一般的に言うところの幽霊、なのは、本当は小陽のほうなのだ。
野原小陽(のはらこはる)は49日前に肉体の死を迎え、肉体の無い人々の生きる世界・心界(しんかい)へ引っ越した。
今は、お盆のため帰省している。
四十九日の後に最初に訪れるお盆・初盆だ。
小陽は生まれつき心臓が上手く機能せず、出生後間もなく、医師から、半年も生きられないだろうと宣告を受けていた。
それが どうしたワケか、その心臓は16年間も持ち堪えた。
もちろん、健常者のようには生活できない。ずっと病院暮らしで、たまに許可をとって両親と妹の暮らす家に外泊させてもらう以外は、外に出掛けることも無い。しかも車椅子だ。
16年も持ったのは、そのためかも知れない。また、ある程度の年齢になった時に、自分の体について きちんと説明されていたのも良かったのだろう。自分でも気をつけることが出来たから……と言っても、隠れてコソコソ夜更かししたりしない、とか、何かをする前には必ず ひと呼吸おくとか、その程度のものだが。
更新日:2017-08-10 22:30:25