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~少女とバンパイアⅠ~

【視点:リン・ダン】



 ふと目を覚ますと、そこには無機質な灰色の天井が広がっていた。外から指す月明かりが薄暗闇に包まれた部屋には無駄に明るく感じられて、逆に不気味さを演出している。嗅ぎ慣れた消毒液のアルコール臭、雲みたいにふかふかで、手入れこそ行き届いてはいるが、どこか温かさに欠けた羽毛布団。そしてなぜか額の上に吊るされた、中身を入れたばかりと思われる冷たい氷嚢。
 見慣れた光景に、周囲を探るまでもなく、ここがどこだかすぐに分かった。

「おばさんの病院か……」

 何で?

 疑問に思うがまま小首を傾げてみると、前触れもなくズキリと鈍い頭痛が走った。

(あー、外に出た後、すぐに何かとぶつかった気がする……)

 氷嚢を押し退け、ジンジンと熱を持つ箇所に手を当ててみると、そこはものの見事にはれ上がっており、そこそこ大きなたんこぶが出来上がっていることが察せられた。
 とその時、ガラリ、と控えめなしぐさで扉が開かれ、逆光を背に見慣れた人影が姿を現す。

「起きたかい」

 部屋の照明を点けながら、しゃがれたソプラノとアルトの中間くらいのトーンでいつものように不愛想な、一欠けらの安堵も覚えない声音で養母が呟いた。

「……何で病院?」
「どこまで覚えてるんだい?」

 わたしの質問には答えず、あくまでも淡々とした事務的な物言いでおばさんが問う。わたしを見下ろすその視線はどこか冷めていて、おかげさまで目覚めたばかりの混乱する頭は冷水を浴びせられたかのごとく、スゥと冷えていった。

「んー……なんか空から降ってくるとこまで……かな?」
「なら記憶の混濁はなさそうだね。調子はどうだい?」
「普通」
「なら明日には退院だ。……で、一つ聞きたいことがあるんだけど……」

 そこまで言って、初めておばさんは何か言いにくそうに顔をしかめた。

「?」

 鋭い糸目が不機嫌そうに細められ、わたしの中にある何かを探り出そうとでもいうかのようにじっと見据えられる。

「あんた、その肩の痣、どうしたんだい?」
「ギクッ……!?」

 やっべぇ!ばれた!

「な、何で知ってんだよ……」

 内心の動揺と不安を押し隠し、声が掠れそうになるのをどうにか堪える。

「あんたを診察した時に見つけたに決まっているさ。で、どうやったらそんな人の手形みたいな痣が出来たんだい?」
「い、いや…その…ベッドから落ちて……」
「あの高低差でそんな痣ができるもんか。あんた、まさかミトラの森で変なトラブルに遭ってないだろうね?」

 ひぃっ!?もしかして、毎朝家抜け出してミトラの森に行ってることバレてる!?

「ん、んなわけないだろ?別にわたしがどこに痣作ろうが、おばさんには関係ないだろ」
「今回ばかりはそうわ行かないね。神郷町のバンパイア騒動の件くらいはあんたもしているだろう?こんななんもないような田舎でも、最近は何かと物騒になってきている。だからこの前忠告したんだ。なのにあんたって子は……。その痣の状態を見れば、それをあんたの体にこさえた輩は相当な握力を持っていたはずだ。骨にひびが入っていてもおかしくないくらいさね。それに、念のためにあんたの体を調べさせてもらったけど、かすり傷だらけじゃないか?それにかなりの衝撃で背中を打った後もある。今朝、ミトラの森で一体何があったんだ?」

 お、おおう…じ、実に見事な観察眼をお持ちであらせられる……。ぐあああああああ!!どーしよう!?これ以上下手に誤魔化しても誤魔化せる自信が全く見つからねぇ!つーかもうこれ一から百まで全部バレてるよな?

「…………」
「どーなんだい?」
「いやー……ナンデモナイケド?」
「棒読みでごまかせるとでも?」
「……何でもないよ」
「…………」

 あくまでも頑なに口を割ろうとしないわたしに、おばさんも黙り込んだ。だけど、相変わらず視線は鋭いままで、口を開かずとも目が「お前の考えていることなんてお見通しだ」と言っているような気がして、睨み返してやることができなかった。

 よし、ここは我慢のしどころだ。何が何でも言うもんか。わたしはまだ死にたくない。

「…………」
「…………」

 先に折れたのはおばさんのほうだった。
 背中をつと冷や汗が伝ったと同時に深いため息を吐き、おばさんは「今晩はここでじっとしていなさい」とだけ告げ、部屋を出て行った。

 ……た、助かった……。いや、もうほんと、危なかった。タニーナの諦めが早くてよかった。

 安堵の息をつきながら、わたしはそろりと上半身を起こし、窓から見える満月を見上げた。儚げな青白い月光が煌々と部屋の中を照らしている。いつもよりも大きく見えるそれは何かを暗示しているようにも見え、ふとわたしの脳裏に、あの死にかけのバンパイアの姿がよぎった。

更新日:2018-05-27 19:06:57

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