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adagio 〜恋は焦らず



「すまん!ラヴロフ、この大使のスケジュール表の差し替え原稿をタイプしてグレゴリーにチェックしてもらってくれるか?もう時間切れだ・・・」

時計を横目で睨みながらの作業に見切りをつけたアレクセイ・ミハイロフは、やおらデスクを立ち上がると隣の部下のデスクに悪びれず書類を投げ置いた。

「はーい、お安い御用ですけど・・・どうしたんすか?慌てて。明日から休みですよね?」

慣れた様子で嫌な顔もせず先輩の無茶ぶりを引き受ける後輩はラヴロフ・マルチェンコ、先ごろ本国から移動してきたばかりだ。
彼は入党したてのペテルスブルグ支部時代から鋼の闘士アレクセイ・ミハイロフに革命家としての魂を叩き込まれ、あの激動の時代を辛くも生き延びくぐり抜けてきた。
アレクセイ曰く「オレと出会っていなければおまえなんかとっくにあの革命の塵となっていたぜ」。
仕事には厳しく口は悪いが、なんだかんだ言いながらも自分を育ててくれたアレクセイは、革命家として一人の男として信頼し尊敬できるラヴロフにとっては唯一無二の先輩だ。

そんな先輩と離れ難く、やっと希望が通り一年遅れでここに着任したときも「ったく、仕方ねえなぁ、こうなったらとことん腐れ縁とやらにに付き合ってやるとするか・・・」などとぶつくさ言いながら、アレクセイもまた成長した後輩と共に新しい国のために働けることを喜んだものだった。

「そ、大使の休暇に合わせて三連休!」

バサバサと帰り支度をする先輩の上機嫌の軽やかな返答に、すかさず後輩は突っ込む。

「ホーホー、さては・・・(あの金髪美女に会いに行くんでしょー?)」

先輩の長髪をかき分けるように、小声で耳元に囁く。

「おわっ!やめろって、耳弱いんだから!おいラヴロフ、くれぐれもあいつのことは・・・」

「よーくわかってます!へへ、子供の前ではくれぐれも狼に変身しないようにしてくださいよー?楽しんできて下さいね!」

「バカやろ!すまないな、じゃあ後頼んだぜ!」

朝準備した小さなボストンバッグとヴァイオリンケース、そして昨日買い求めたレオーンへの土産もを携え、アレクセイは駅へと急いだ。

ユリウスとの邂逅から、ひと月ほどが経っていた。
実はアレクセイの古い知り合いの招きで訪れたあの街へは、この国に来て間もないラヴロフも案内してやろうと同行させていた。
レオーンの救出現場にも彼は居合わせ、ユリウスが無茶をしないように引き留めてくれたのが彼だったが、ただならぬ二人の様子に気を利かせアレクセイに目配せし先に滞在先に帰っていたのだ。
その後彼女の身の上について聞かされたラヴロフだったが、事情が事情だけに母子の安全とお互いの立場を考慮し、一切口外しないのが得策なのは彼も即座に理解した。

―綺麗なひとだったなぁ、十代の頃から一途に想い続けた恋人かぁ。女嫌いとか散々な言われようだったけど・・・さすが俺の先輩、恋愛模様もクールっす!カッコいいっす!相手は子持ちだったけど、関係ないっすね・・・うまくいかないわけがないですよ!ファイトです!

「よーし、先輩の為にもうひと踏ん張りだ!」

週末の夜、敬愛する先輩の幸せを祈りつつ、一人残った副官室でリズミカルなタイピング音を軽やかに響き渡らせるラヴロフなのだった。




更新日:2017-07-04 09:41:01

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