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小説

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(2)レモンの木の下で

保奈美が高校を中退したのは、17歳の時だったから12年ぶりの再会だった。それにしても保奈美はよく修平のことを思い出したと、改めて修平は考え込んでしまった。正直修平には保奈美の顔を見ても、それが保奈美であることなんて全く分からなかった。保奈美が中退していたので、卒業アルバムで当時の写真を見直すこともできない。

 だが不意に公園で出会った女性(ひと)が修平の高校時代の同級生だった保奈美であることは間違いなかった。当時の面影は導き出せなくても、その事実だけで今の修平には十分だった。そして確かに高校時代の自由奔放な保奈美のイメージは、12年振りに再会した彼女の中に色濃く残っていたのだった。

 高校時代も授業中もノートに窓枠の向こうに拡がる風景を描いていた保奈美が、29歳になった今でも修平が横になっていたベンチと大きなレモンの木を描きに公園に来ていた。それに比べて同じ29歳になっていた修平は、今頃になって自分自身の立ち位置を完全に見失っていた。

 大学へ進学してさほどの理由付けもないままに目先の自分の好奇心に身を任せてきたが、いきなりその好奇心を無くしてしまっている自分に今修平は否応なしに向き合わされていた。修平は実験に没頭しているが、その実験結果から何本かの論文は作成できるかもしれなかった。

 だがそれが一体何になるというのだろう。博士論文が認められ博士号を取得できれば、大学の講師として活躍しやすくなると先輩たちは修平に説く。確かに今までの修平はそんな風景が取り敢えずの自分自身の姿かもしれないと思えていた。だがその近視眼的な風景が、今の修平にはぼやけて見えてしかなかった。

 恐らく漠然とそんな気持ちを修平は引き摺っていたに違いなかったが、そんな修平にとって研究室で毎日何十時間も一緒に実験に取り組んでいた同僚の突然の交通事故死は、とてつもなく大きなインパクトを修平に与えていた。一体彼の人生とは?物心ついてからほとんどの時間を研究室内の実験現場で過ごしてきていた。勿論彼が研究室以外の場でどんな時間を過ごしてかなんて、修平は全く知らなかった。

 少なくとも修平は研究室以外の時間の大半を、ベッドの上に自分の重い身体をいつも横たえていた。それだけの日々が果てしなく続いていた。修平のここ数年間という日々は研究室と自分の部屋のベッドとの間を、往復していただけだった。そんな日々に修平は、自分は何をしたいのかという根源的な問い掛けまで持ち出してまで向き合っていた。

 今回、同僚が突然現実の世界から姿を消した。そしてまるで入れ替わるかのように突然修平の前に、保奈美が姿を現した。高校生以来の再会となった保奈美は、高校生だった当時と同様にいまだに絵を描いていた。修平は初めて女性を名前で呼んだ保奈美のことが、あのレモンの木の下で再会してからずっと気になってしかたなかった。

 修平は高校時代もそうだったが大学に進学してからも今の大学院生活まで、自分の時間のすべてを実験現場で過ごしてきていた。コンサートや映画にも行ったことがなかった。たまには小説でも思うのだが、最終的に修平が目で追っている活字は論文ばかりだった。勿論女性と一緒に過ごした時間など全く無かった。

 何故だか修平には高校時代の自由奔放な姿で、修平の前に現れた修平と同じ29歳の保奈美のことが眩しかった。突然現れた保奈美は高校時代と一緒で、高校時代はノートをそして今はスケッチブックを手にしていた。少女だった頃の清々しさを漂わせていた保奈美に、出会った瞬間修平は魅せられてしまった。こんなことなど勿論修平にとって初めてのことだった。

更新日:2017-04-19 17:12:18

★【91】レモンの木の下で(原稿用紙100枚)