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 保奈美が修平のことばかり考えていたある日、修平から借りていたノーマンロックウェルの本を返したいが、ついては何かお礼をしたいと保奈美に連絡があった。保奈美は修平の大学を見てみたいと申し出た。大学のある駅前で2人は待ち合わせをした。約束時間を10分過ぎてから、保奈美は約束場所に顔を出した。

『遅れてごめんね』
『僕も今来たところだから・・・』
保奈美は駅前の見える喫茶店に30分前からいたので、修平が30分前から改札口で待っていたのを知っていた。
『てっきり保奈美が改札の中から現れると思っていたので、今まで何処にいたの?』
急に保奈美が姿を見せたことに、修平は少しだけ驚いていた。

『あそこの喫茶店に30分前からいたわ』
『・・・』
明らかに修平は戸惑いの表情を浮かべていた。
『大学までは近いの?』
『歩いて10分くらいかな』
保奈美は修平の目の前に手を出した。

『・・・』
保奈美の意思が分からなかった修平は、思わず固まってしまった。
『手を引いて案内して!』
修平は保奈美の言うとおりに保奈美の手を取って歩き始めた。黙って手を繋いで歩いていたらすぐに大学の正門が先に見えてきた。

『私が通った専門学校は学校というより会社のビルの一角だったので、一度大学のキャンパス内を歩いてみたかったの』
保奈美は構内に入っても繋いでいた手を離さなかった。
『大学の中なんて、何もないけど・・・』
歩きながら戸惑った様子で修平が保奈美に話し掛けた。

『さすがにワインなって訳にはいかないから、コーヒーでも木陰のベンチで飲みたいわ』
『じゃあ、このベンチで待っていてくれる。僕がコーヒーを手に入れてくるから』
そう言い残すと繋いでいた手を離して、修平が走り出して行った。

『コンビニのコーヒーより少しだけ美味しいかもしれないよ』
そう話し掛けながら修平は保奈美の座っている横に腰掛けた。
『この大学で修平は実験ばかりしているのね。こんなに素敵な木々に囲まれているのに、ずっと校舎内にいるなんて勿体無いわね。でも修平はその実験が大好きなのだからいいのよね』
保奈美はそう言いながら修平の様子を伺った。

『確かに好きだったよ』
修平は自分に言い渡すかのように呟いた。
『過去形?』
『そう、正直今の心境としては過去形になるかもしれない。やはり実験仲間の突然の死に直面してから、何となく一日中しかも1年間ほとんど研究室で実験を続けていることが虚しいというか・・・』
修平の自問自答が続いていた。

『実験室だけの時間しか持たないままで、ある日突然自分も亡くなったらと考えたのね。いくら好きなことといっても他に何もないということは、それはそれで何となくしっくりとこないわね』
保奈美の言葉を、修平は思わず頷きながら聞いていた。

『確かにそうだけど実は仲間の死よりも以前に、僕は何となくこれでいいのかみたいなことをずっと考えていてね。だから保奈美に再会した時に《心の悩みを抱いている》とはっきりと言われた時に思わず身構えてしまったよ』
『修平には本当に何もないの?』
保奈美がベンチの上で修平の方へ向きを変えながら話し掛けてきた。

更新日:2017-04-19 17:18:56

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