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また中国へ
22 また中国へ①
大阪での調査中、雄大が尾行を見抜いたおかげで思わぬ拾い物をした。
〈Osaka Investigation〉というリサーチ会社の調査員芳野を捕まえてある。何かあれば周(ジョウ)に連絡が入ることになっている。
東京に戻ったら、周に電話が入った。少林寺の館長からだった。地図に関する情報が入ったので、良かったら来ないかと言うもの。良いも悪いもない。願ったり叶ったりだ。
今度は一緒に行くと雄大が譲らなかった。芳野の件のお手柄があるので連れて行くことにした。
鄭州新鄭国際空港。
昴胤と周は2度目だが、雄大は初めてだ。
前回と同じように空港でクルマを借りた。運転は雄大。隣に周。昴胤は後ろに乗った。
周がナビゲーター。ノンストップで2時間で着いた。
麓からは徒歩だ。
山門に着くと雄大が言った。
「おお、ここがあの有名な少林寺か!」
映画では何度も観たことがあるが、本物は初めてだった。雄大が感動していた。
「雄大、置いて行くぞ」
昴胤と周は、見とれる雄大を置いて山門をくぐった。
「あ、兄貴!」
雄大があわてて後を追った。
あらかじめ連絡しておいたので、館長は寺務所で昴胤たちを迎えてくれた。
周が、地に正座し三拝した。 昴胤と雄大は、深く腰を折った。
挨拶が終わったら、館長はさっそく本題に入った。
「ここに書物庫があるのは、そなたも知っておろう」
昴胤と雄大には、会話の内容が全くわからない。周に任せておくしかない。
「はい。入ったことはありませんが」
「うむ。少林寺が建立されてからの歴史が、きっちりと編纂されておるでな」
「はい」
館長は三人に向かって話しているが、相づちを打つのは周だけだ。
「ワシは、建立当時のことを調べようと思ったのじゃが、あまりに古くて、文字が消えかかっておってな。全く読めない部分も何ヵ所もあったのじゃが」
館長が目を閉じて、当時を瞑想するように話し始めた。
崇山少林寺は、西暦502年に即位した南朝の梁の国王・武帝によって建立された。
武帝は、仏教に対して非常に理解が深く、手厚い保護と熱心な奨励推進をし、インドからインド人仏教僧の「達磨」を招き入れた。
達磨と崇山少林寺とは縁が深い。
中国独自の宗派・禅宗を浸透させた中国禅の開祖である達磨は、崇山少林寺で壁に向かって九年間座禅修行をした。
「いつの頃か年月は不明じゃが、先日そなたに預けた物は、どうやらその達磨大師がときの館長に預けたもののようじゃ」
館長は、話しを終えた。周が、同時通訳していた。
「するとこれは、達磨大師がお書きになった物ということですか」
周が訊くと、館長は首をひねった。
「いや。それはわからん。じっくり見ておらんでの。今、持っとるかの」
現物を持って来ていた。
「はい。お持ちしました。複写しましたので、現物はお返ししておきます。ありがとうございました」
バッグから現物を出しながら周が言った。館長は、地図を受けとると、隅々まで凝視した。
「おお、これはまさしく達磨大師がお書きになった物じゃ」
しばらくして、館長が感動して言った。
「やはりそうですか。何か根拠がありましたか?」
「ここを見よ」
館長に言われた右下隅をよく見ると、記号のようなものが小さく書いてあった。
「これは、デーヴァナーガリー文字といって、ヒンディー語なのじゃ」
「これって文字だったのですか。何て書いてあるのです?」
「『達磨』じゃよ。はっきりと書いてある」
「そうでしたか」
大阪での調査中、雄大が尾行を見抜いたおかげで思わぬ拾い物をした。
〈Osaka Investigation〉というリサーチ会社の調査員芳野を捕まえてある。何かあれば周(ジョウ)に連絡が入ることになっている。
東京に戻ったら、周に電話が入った。少林寺の館長からだった。地図に関する情報が入ったので、良かったら来ないかと言うもの。良いも悪いもない。願ったり叶ったりだ。
今度は一緒に行くと雄大が譲らなかった。芳野の件のお手柄があるので連れて行くことにした。
鄭州新鄭国際空港。
昴胤と周は2度目だが、雄大は初めてだ。
前回と同じように空港でクルマを借りた。運転は雄大。隣に周。昴胤は後ろに乗った。
周がナビゲーター。ノンストップで2時間で着いた。
麓からは徒歩だ。
山門に着くと雄大が言った。
「おお、ここがあの有名な少林寺か!」
映画では何度も観たことがあるが、本物は初めてだった。雄大が感動していた。
「雄大、置いて行くぞ」
昴胤と周は、見とれる雄大を置いて山門をくぐった。
「あ、兄貴!」
雄大があわてて後を追った。
あらかじめ連絡しておいたので、館長は寺務所で昴胤たちを迎えてくれた。
周が、地に正座し三拝した。 昴胤と雄大は、深く腰を折った。
挨拶が終わったら、館長はさっそく本題に入った。
「ここに書物庫があるのは、そなたも知っておろう」
昴胤と雄大には、会話の内容が全くわからない。周に任せておくしかない。
「はい。入ったことはありませんが」
「うむ。少林寺が建立されてからの歴史が、きっちりと編纂されておるでな」
「はい」
館長は三人に向かって話しているが、相づちを打つのは周だけだ。
「ワシは、建立当時のことを調べようと思ったのじゃが、あまりに古くて、文字が消えかかっておってな。全く読めない部分も何ヵ所もあったのじゃが」
館長が目を閉じて、当時を瞑想するように話し始めた。
崇山少林寺は、西暦502年に即位した南朝の梁の国王・武帝によって建立された。
武帝は、仏教に対して非常に理解が深く、手厚い保護と熱心な奨励推進をし、インドからインド人仏教僧の「達磨」を招き入れた。
達磨と崇山少林寺とは縁が深い。
中国独自の宗派・禅宗を浸透させた中国禅の開祖である達磨は、崇山少林寺で壁に向かって九年間座禅修行をした。
「いつの頃か年月は不明じゃが、先日そなたに預けた物は、どうやらその達磨大師がときの館長に預けたもののようじゃ」
館長は、話しを終えた。周が、同時通訳していた。
「するとこれは、達磨大師がお書きになった物ということですか」
周が訊くと、館長は首をひねった。
「いや。それはわからん。じっくり見ておらんでの。今、持っとるかの」
現物を持って来ていた。
「はい。お持ちしました。複写しましたので、現物はお返ししておきます。ありがとうございました」
バッグから現物を出しながら周が言った。館長は、地図を受けとると、隅々まで凝視した。
「おお、これはまさしく達磨大師がお書きになった物じゃ」
しばらくして、館長が感動して言った。
「やはりそうですか。何か根拠がありましたか?」
「ここを見よ」
館長に言われた右下隅をよく見ると、記号のようなものが小さく書いてあった。
「これは、デーヴァナーガリー文字といって、ヒンディー語なのじゃ」
「これって文字だったのですか。何て書いてあるのです?」
「『達磨』じゃよ。はっきりと書いてある」
「そうでしたか」
更新日:2017-05-15 17:03:35