• 22 / 274 ページ

また中国へ

 22 また中国へ①


 大阪での調査中、雄大が尾行を見抜いたおかげで思わぬ拾い物をした。

〈Osaka Investigation〉というリサーチ会社の調査員芳野を捕まえてある。何かあれば周(ジョウ)に連絡が入ることになっている。

 東京に戻ったら、周に電話が入った。少林寺の館長からだった。地図に関する情報が入ったので、良かったら来ないかと言うもの。良いも悪いもない。願ったり叶ったりだ。

 今度は一緒に行くと雄大が譲らなかった。芳野の件のお手柄があるので連れて行くことにした。

 鄭州新鄭国際空港。

 昴胤と周は2度目だが、雄大は初めてだ。

 前回と同じように空港でクルマを借りた。運転は雄大。隣に周。昴胤は後ろに乗った。

 周がナビゲーター。ノンストップで2時間で着いた。

 麓からは徒歩だ。

 山門に着くと雄大が言った。

「おお、ここがあの有名な少林寺か!」

 映画では何度も観たことがあるが、本物は初めてだった。雄大が感動していた。

「雄大、置いて行くぞ」

 昴胤と周は、見とれる雄大を置いて山門をくぐった。

「あ、兄貴!」

 雄大があわてて後を追った。

 あらかじめ連絡しておいたので、館長は寺務所で昴胤たちを迎えてくれた。

 周が、地に正座し三拝した。 昴胤と雄大は、深く腰を折った。

 挨拶が終わったら、館長はさっそく本題に入った。

「ここに書物庫があるのは、そなたも知っておろう」

 昴胤と雄大には、会話の内容が全くわからない。周に任せておくしかない。

「はい。入ったことはありませんが」

「うむ。少林寺が建立されてからの歴史が、きっちりと編纂されておるでな」

「はい」

 館長は三人に向かって話しているが、相づちを打つのは周だけだ。

「ワシは、建立当時のことを調べようと思ったのじゃが、あまりに古くて、文字が消えかかっておってな。全く読めない部分も何ヵ所もあったのじゃが」

 館長が目を閉じて、当時を瞑想するように話し始めた。



 崇山少林寺は、西暦502年に即位した南朝の梁の国王・武帝によって建立された。

 武帝は、仏教に対して非常に理解が深く、手厚い保護と熱心な奨励推進をし、インドからインド人仏教僧の「達磨」を招き入れた。

 達磨と崇山少林寺とは縁が深い。

 中国独自の宗派・禅宗を浸透させた中国禅の開祖である達磨は、崇山少林寺で壁に向かって九年間座禅修行をした。



「いつの頃か年月は不明じゃが、先日そなたに預けた物は、どうやらその達磨大師がときの館長に預けたもののようじゃ」

 館長は、話しを終えた。周が、同時通訳していた。

「するとこれは、達磨大師がお書きになった物ということですか」

 周が訊くと、館長は首をひねった。

「いや。それはわからん。じっくり見ておらんでの。今、持っとるかの」

 現物を持って来ていた。

「はい。お持ちしました。複写しましたので、現物はお返ししておきます。ありがとうございました」

 バッグから現物を出しながら周が言った。館長は、地図を受けとると、隅々まで凝視した。

「おお、これはまさしく達磨大師がお書きになった物じゃ」

しばらくして、館長が感動して言った。

「やはりそうですか。何か根拠がありましたか?」

「ここを見よ」

 館長に言われた右下隅をよく見ると、記号のようなものが小さく書いてあった。

「これは、デーヴァナーガリー文字といって、ヒンディー語なのじゃ」

「これって文字だったのですか。何て書いてあるのです?」

「『達磨』じゃよ。はっきりと書いてある」

「そうでしたか」


更新日:2017-05-15 17:03:35

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook

《田川昂胤(こういん)探偵事務所❸「ダルマは哭いた」》