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二人の昇華

触れると冷たかった。
前に横たわっている米蔵の形をしたもの・・・表情のないその遺体は明らかに米蔵とは違っていた。
「とうさん・・・」
湯灌のためにアルコールで清めていくその体が父の米蔵だとは思えなかった。
きれいな体であったがそこに暖かみがなかった。
大好きな米蔵の体の中心に、米蔵のそれも同じ形をしてそこにあった。
米蔵の遺髪とともにそこからいくらかの想い出が欲しいと思ったがそれはもう米蔵ではなかった。
米蔵が米蔵である時にそれは手に入れなければ無意味であることが今になってわかったのである。
「とうさん、どこにいるの?」
手を休めて栄次は上を見上げる。
そこには天井の板があるだけであったが、なぜかそこに米蔵がいるような気もした。
湯灌を終えると栄次は米蔵の遺体の腰に使い慣れた褌を着ける。
その白い布を腰に巻くと少し米蔵の面影が戻ってきたように思えた。
経帷子を着せ、手甲、脚絆を巻くと草鞋を着ける。
草鞋の素足がいかにもこれから死出の旅を思わせて栄次は辛かった。
(とうさん、一人で行けるの?)
米蔵が栄次を置いて行ってしまえるとは思えなかった。
「とうさん、とうさん・・・・」
涙が突然あふれ始めると止まらない。
先ほどまでそれは物体にしか見えなかったのに、ふんどしと経帷子が米蔵の姿に戻したようであった。
(このまま一緒に行ってあげなければ・・・)栄次は嗚咽しながら思い詰めて足がすくんでいた。
「栄次、もうそろそろですよ」
母のウメが戻ってきて声をかける。
一緒に行くことは叶わないことはわかっていた。
渋々と頭陀袋を掛けるとその中に六文銭と栄次の写真を忍ばせるとよろよろと立ち上がった。


「死んだらどうなるのだろうな?栄次」
「何を言うんです?そんなこと考えるのはもっと先でしょ」
日々の見舞いに行くたびに米蔵がそのような話題をするようになっていた。
「死んだら、この体はきっとただの物体になるんだろうな?」
「・・・」
「今、この自分だと言う魂はどうなるんだろう?」
確かに米蔵の話すとおり魂はどうなるのであろう、それは永遠に解かれない疑問であった。
幽体離脱の体験談も語られているが、真偽はわからない。
「栄次、わしが死んでも魂はおまえのとところにいたい」
「とうさん、死ぬなんて話はずっと先の話だからゆっくり語りましょう」
米蔵が突然妙なことを言う。
「栄次は年寄りに好かれるだろう?」
「どうでしょう?わかりません」
「わしが死んだら、近づきになった年寄りをわしだと想え、きっとそこにいる」
とりとめのない話をする毎日が続いた。
そのような日が二週間も続いたであろうか、あるとき米蔵がいつになく元気に思える日があった。
いつものようにおむつを取ってふんどしに付け替えた後、米蔵が話しかける。
「今日は、割と気分が良い」
「良かったね、とうさん・・・」
「栄次ここで一緒に添い寝してくれないか?」
「いいけど、看護師さんが来たらどうしよう」
「大丈夫さ、しばらくは来ないから」
病院の小さなベッドに栄次は肌着になって添い寝する。
右手を米蔵の首の下に入れて体を当てると米蔵の体が小さくなったのが実感できる。
随分前の温泉ホテルのことを思い出す。
「とうさん、あの温泉覚えてる?」
「ああ・・・・・」
今は米蔵の右足が栄次の体に巻き付いてくることはなかった。
栄次が右足を下に入れて左足で米蔵の体を抱く。
骨と皮だけの米蔵の体は温かかったが小さな米蔵を抱いて栄次は涙があふれてきた。
米蔵の左手が栄次の股間を握っている。
弱った体なのにそこをつかむ力は強く思えた。
それが米蔵の手だと思うだけで栄次のそれは昂ぶっていった。

もう二年も経ってしまった、温泉ホテルでの米蔵との契が蘇ってくる。
栄次は米蔵のすべてを受け入れたと思ったし、米蔵もまた栄次のすべてを受け入れた。
人間の愛の究極の行為、それは異性間でも同性間でも同じなのであろう。
決して人眼に晒されることなく、そして語り合うものでもない二人の愛の証、もう二人は離れたくとも離れられない。
心も体も一緒になったことを自覚した二人に厳かな絆が生まれたのであった。
その翌日からの二人には二人だけにわかる変化があった。
何も語らなくてもわかり合えた、眼を合わせるだけで二人の想いは共有できた。
そばにいなくとも良かったし、離れていても充実していた。
米蔵が時より見せることのあった少し不安そうなそぶりはすっかり消え去っていた。
栄次より米蔵の方が心の平安を得たように思えた。
そんな日々が続いていたのである。


更新日:2017-03-30 07:37:02

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