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彼岸に咲く(6)

佐市は朝食と済ませると食器洗いと片づけを始める。
「それは、私がしますから・・」
慌てて、修二が佐市に申し出る。
「そうか、じゃ頼む」
佐市は素直に修二の申し出を受けてくれる。
「洗濯もしておきますから・・・」
「ああ・・・」
佐市はしばらくすると農作業の準備を始める。
「お義父さん、私は何を・・・」
「わしは畑に行ってくる」
「私もご一緒します」
「土いじりのできる服は用意してきたか?」
佐市は修二の方を眺めて聞く。
「いえ」
「じゃ、無理だ。勝手にしておればいい」
それだけ言うと、佐市はすたすたと出かけてしまった。
修二は、仕方なく佐市を見送ると所在無げに家の中を観察する。
掃除でもするしかなかった。
風呂場に向かうとそこには佐市の脱いだ衣類が洗濯かごに残されていた。
それを洗濯機に入れると洗剤を入れてスイッチを押すだけであった。
これくらいの家事は修二にも経験があった。
洗濯機が動き始めると修二は、掃除機を取り出して家の中の掃除を始める。
掃除は共同の部屋だけにして、佐一の居室には手を付けなかった。まだ佐一の信頼を得ているとは思えない今、そこまでは立ち入ることは憚れた。
やがて洗濯機が止まると、衣類を物干しにかける。
佐市と修二の日常着である衣類を物干しに干すが、なにか足りない。
それは佐市の下ばきが見当たらなかったであった。
何か、修二は拍子抜けの思いであった。
気難しそうな佐市が、祖父と同じふんどしを下ばきに着けている。
そのさまが何故か修二の胸を騒がしていた。
その佐市が着けていたであろう、ふんどしを手に取ることができなかったのである。
佐市は、それを毎日着替えないで日を跨いで身に着けているのであろうか?
修二は、つまらない推測を自嘲しながら、それらを干し終わると修二は台所のテーブルに座って考える。
佐市を元気にするにはどうすればよいのだろうか?
とりあえず、今日は畑仕事に出かけたのだからそれなりに意義はあったのだと納得する。
きっと、佐市は容易には修二に心を開いていてはくれないのであろう。

菜園に着いた佐市は、久しぶりの手入れを始める。
例の事件以来外出する気も起きなかったが修二が来たことで外出することになったのである。
畑は雑草が茂っていた。
しばらく手を抜くと菜園の面影が無くなるほどであった。
一人で作業をしていると、また遠い記憶がよみがえる。

忠次の手伝いをしながら同じようなことをしていた。
多くは前の工程を忠次が受け持って、佐市は忠次の後を追っていた。
この菜園で作業をするといつも当時のことが思い出された。
時々見る忠次の後ろ姿、その作業着の臀部に目をやると、肉のつかない両足の間に忠次の大切なモノが想像できた。
時々立ち止まって腰に手を当てて、忠次がこちらを向くと、日に焼けた皺の刻まれた顔に優しい目が微笑んでいた。
ずいぶんを時を経たというのに、忠次は佐市の心の中で生き続けているのである。

八月八日、日ソ不可侵条約を破棄してソ連は日本に宣戦布告すると、八月九日には満州に侵攻したのであった。
機関車の先頭には裸の日本女性がくくりつけられていたという。
ソ連兵の残虐さはすでにドイツ戦線で知れ渡っていた。
満州で行なわれた残虐行為で、亀田一家同様に、その所在が分からなくなってしまっていた。
それは亀田一家だけでなく、ほとんどの在留日本人が同じような目にあわされたのである。
北朝鮮に在留していた日本人も同様の仕打ちを受け、その人数は満州をはるかに上回る人数に及んだという。
北方四島の同然であったことは想像に難くない。

戦争の残虐さは嫌というほど見てきた。
どうすれば、戦争を避けられるのであろうか?
それを考えるのは、戦地に赴いたものに課せられた使命ではないのか?
しかし、彼らの口は占領軍に封じられてしまった。
佐市は思う。
満州の開拓に励んだ亀田家の人たちの無念さを。
そして、忠次の遺骨あの地にはきっと眠っているのであろう。
忠次の心が佐市と一緒に帰ったのが佐市の救いであった。
国策に乗じて悲惨な人生を送った人たち、彼らの無念はどこに晴らされるのであろう。
狭い国土の日本で、限りある資源の分かち合いに漏れた彼らは満州や朝鮮に渡った。
恐らく日本にいても困窮を極めたのであろう、彼らに選択の余地はなかった。
敵との殺し合いに参加はしなかったが、兵役に服するよりもっと過酷な最期が待っていた。
戦うことも許されぬまま、残虐なソ連兵、抗日支那人、朝鮮人の殺戮が待っていた。
何の罪もない日本人の一般市民が突然襲われて婦女は暴行され、財産は略奪されるのである。
そして無残な最期を迎える。
彼らの口惜しさを誰が報いてあげることができるのであろう。

更新日:2017-03-15 12:08:33

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