• 65 / 190 ページ

第9話 和弥、彦根へ


 …そこは、JR南彦根駅付近にある、小さな雑居ビルだった。
 時間帯はまだ午前中ではあったが、事務所内は照明が
 落とされており薄暗かった。
 そこで、手足を縛られたまま、その場に座らされた
 緒杉智子(※「おすぎ ともこ」と読む)は、
 片桐清香(※「かたぎり きよか」と読む)と向かい合っていた。


 …数日前のことである。
 智子が須賀悠司(※「すが ゆうじ」と読む)に新たに製作した
 「ウショニンシステム」を送ったその日の夕方のこと、彼女は
 定時で勤務を終え、JR品川駅へと向かっていた。
 そのときふと何かの気配を感じ、智子は逃げる様に駅構内の
 トイレまで早足で歩き始めた。
 その行先が交番でなかったのは、彼女がよほど慌てていたのが
 分かる。
 しかし…その途中でいきなり背後から何者かに身体ごと
 抱きかかえられ、無理やりそのままトイレに連れ込まれた。
 そして背中を押されトイレに入った直後、彼女の口にガーゼの
 ようなものがあてがわれた。
 …それを吸い込んだ途端、何かほのかな香りと共に智子の
 意識は途絶えた…。
 気がつくと、彼女はどこかのオフィスの隅に寝かされていた。
 そこは乱雑で、煙草臭い場所であった…。

 智子が連れ出されたのは…なんと東京から離れた滋賀県の
 彦根市であった。
 …そこは、かの謎の組織・「ハイドミューン」のアジトの一つ
 だったのである…。

 清香は「ウショニンシステム」の設計図をはじめとする、
 すべての資料を智子に要求していた。
 それを「完全な形で完成させた」ことを、既に彼女は知っていた
 のである。

  「その設計図…出しなさい」
  「ないわ」

 智子は親に反抗する子供のように素っ気無く答えた。

  「あなたの端末…職場のパソコンに接続することはできる
  でしょ!?」
  「ムダよ」

 この小娘…!
 清香の頬が引きつり、その眉根がピンと跳ね上がった。

  「あなた…私をナメてるわね…?」
  「だからぁ…」

 智子は大きな溜め息をついた。
 彼女は決して、シラを切っているわけではない。

  「単純に無いものは引き出せないでしょ?あのね、この意味
  わ・か・る?」

 …つまりこういうことだ。
 「ウショニン・システム」の全ての設計図や、その詳細な資料
 すべてを差し出すように清香は要求している。
 …だが、「それ」はパソコンの記憶媒体などに一切保存されて
 いない…そういうことなのだ。
 本来であれば、それに関わる仕様書、設計図、そのほか詳細な
 資料は、すべて文書や図面に残すべきものではあるが、それが
 まったく成されていないということなのである。

  「だったらあなた…それを一体、どこに記憶しているって
  いうの!?」

 そんな清香に対し、突然智子は縛られた縄を解いてみせた。

  「なっ…!?」
  「じゃーん!!…これくらいのこと、やっけのけられるわ
  よーだ!!」

 …智子の手に何かある。
 それは…ペンの形をした、精巧な電動ナイフであった。
 彼女が「天才」と呼ばれるその理由…それは、そんな万能な
 工具を作り出すことなど、たやすいことだ。
 そして…智子は自分の側頭部を指差した。

  「あなたの欲しいものは…この中よ」
  「…えっ?」
  「私の頭の中」

 智子は真顔だった。

  「な…なんですってぇ…??」

 確かにそれは信じがたいことであろう。
 常識的に考えれば、人間が物事を記憶できる量については、
 個人差によって多少異なるが、限界というものがある。
 しかし智子は「ウショニンシステム」についてのありとあらゆる
 情報を全てその頭の中に記憶しているのだ。
 …たとえば、「それ」は確かに智子の頭脳の中に、まるで
 パソコンのハードディスクにでも記録しているかのように、
 完璧に保存されているのだ。

更新日:2017-07-03 10:25:02

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook