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第8話 三紋寺事変


 …天赦園(※「てんしゃえん」と読む)への入り口がある通りに、
 小さな老舗の喫茶店がある。
 以前までは、コーヒーなどを頼むと、サービスで地元の
 美味しいどころの業者の厚切りの食パンを焼いたトーストが
 添えられていた。
 …この日、須賀悠司(※「すが ゆうじ」と読む)は、恩師である
 日高一朗(※「ひだか いちろう」)を伴い、この店に訪れていた。
 そして…。
 狭い座席のテーブルをはさんで、
 三紋寺和弥(※「さんもんじ かずや」と読む)と
 柏紫朗(※「かしわ しろう」と読む)の姿があった。

 …テーブルの上にはコーヒーが置かれており、そこに人数分の
 バター・トーストがのせられた皿がおかれていた。
 コーヒーの香りに交じって、香ばしいバターの香りが辺りに
 漂っている。
 …だが皆、黙って向かい合ったまま、口を聞こうとしない。
 …と、そのとき…。
 腕を組んでいた和弥が、トーストに手を伸ばした。
 そして…それにかじりついた。

  「…おぉっ、これ確か、あそこの食パンだろ?」

 その美味しいどころの業者のことを和弥は知っていた。
 …地元の人間なら、その業者の名前は、一度は聞いたことが
 あるはずだ。
 それに、そこにあるのはただのバター・トーストではない。
 わずかに砂糖と、そして…香りつけにシナモンがまぶされて
 いるのだ。

  「和弥様…」
  「…仕方ないだろ、好きなものは好きなんだから。ほれ、
  お前も食えよ」

 主人の勧めにそうしたいところではあるが…紫朗はチラと悠司
 たちに視線をやった。
 果たして彼らの顔は、いたって険しい…。
 ふと日高が咳払いをした。

  「…兼ねてから、三紋寺家の人間は姿を消したと聞いて
  いましたが…」

 そこで日高は言葉を止めた。

  「いろいろとあってのことです。ところであなた方は…
  同家の騒動のことをご存知ですか?」

 今度は逆に紫朗が尋ね返してきた。

  「騒動…?」

 日高は怪訝そうに眉間にしわを寄せる。
 …だが、かつて「牛鬼」の伝説を研究してきた彼には、かすか
 ではあるが覚えがある。
 以前、この地元宇和島市で、「三紋寺事変」と称された、ある
 事件が起こっていたのだ。

  「ひょっとして…昭和6x年の年末頃に起こった…?」
  「その通りです」

 紫朗は視線を落とした。

  「最近、この宇和島で起こった怪事件…それも関係があるの
  ですかな…?」

 日高は、それも確かめたかった。
 もし関連しているとすれば…和弥たちもこのまま放っておく
 われにはいかない。

 そして…しばらくの沈黙の後、紫朗は話し始めた。

更新日:2017-06-29 13:37:17

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