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(3)回り始めた歯車

 佑香の初めて任された責任ある仕事である
初恋をテーマにしたショートストーリーの制作は、中学時代以来突然に再会した孝明の作った台本に基づいて順調に進んでいた。最初の打ち合わせの時に出会って以来、放送作家として制作現場に孝明は顔を出すことはなかった。

勿論放送作家には色々なタイプがいるのを承知していた佑香は、孝明が必要なければせ制作現場には姿を見せないタイプなのだと考えていた。そのことは少なからず佑香を戸惑わせていた。何故なら何としても佑香は孝明と話をしたいと強く思っていたからだった。

そんな佑香は相変わらず自分の仕事に対して、猜疑心をもって眺め続けていた。

このまま忙しさの中に自分の身を置き続けていって本当にいいのだろうか、そのことばかりを最近は考え続けていた。好きか嫌いかと言えば決して嫌いな仕事ではなかった。

だがそれは条件付きの話だったのだ。それというのも制作会社の社員として、制作現場に関われることが大前提だった。

ところがどうやらその条件が適えられるのは、社員生活のほんの一時期だと言う現実だった。そんなことが佑香をひどく混乱に導いていた。

佑香の生身の身体は、正直相変わらずコンサート会場でのライブ演奏に素直に反応していた。

要するにコンサート会場での佑香は素直に全身を通して感激、感動を手にしていたのだった。それに比べて今のTV局での仕事では、そのような感情の起伏に我が身を任せたことがなかった。

もっともそんな思いが強くなればなるほど、今さら自分自身がそんなことを考えて何になるのかという内なる囁き声が佑香に届いていた。正直身動きが取れない自分に、最近の佑香は手を焼いているのが現実だった。その
ことだけでも、佑香を不安定な気持ちに追いやっているのに十分だった。

それに加えて佑香はあまりにも唐突な形での孝明との再会に、ただただその事実をどう受け止めればいいのかについても迷い続けていた。出口の見えない道筋が、今の佑香の前に2本も拡がっていたのだ。どちらについても簡単に結論の出ることのようには、佑香には思えなかった。

佑香は偶然に再会した孝明が《僕にとっての初恋は、このストーリー以外になかったから》と話していたことをずっと引き摺っていた。だったら何故あの時、孝明が佑香からの連絡を無視したのだろう。

正直中学卒業後ジャスティン・ビーバーの日本武道館コンサートが決まった時に、佑香は迷うことなく中学時代の約束通りに孝明へ一緒にコンサートへ行こうと連絡をした。

それなのに孝明からの返事は一切来なかった。それだけでなくもう一つの約束だった20歳になった時の中学の同窓会で再会しようということも実現することはなかった。勿論佑香は参加したが、その場に孝明の姿はなかった。正直多感な頃の佑香にとってこの2つの出来事はある意味決定的なものになっていた。

それはまさに佑香の心の中で、いわゆるトラウマと呼んでもいいほどの内容となっていた。実際佑香の前に22歳になった今まで、親しくなった男性(ひと)が現れることはなかった。勿論、高校時代も大学時代も佑香に想いを寄せてくれる男性(ひと)がそれなりに現れては来ていたが、それらの全てについて佑香は受け入れることが出来なかった。

勿論だからと言って佑香は孝明のことを恨んでいるなんてことは一切なかった。何故なら中学時代の孝明との約束事にずっと拘ったのは佑香であって、それと同じ内容を孝明にも求めることなどあまりにも身勝手な想いだと考えていたからだった。

ただ唯一佑香にとってすっきりと先へ進むことが出来ないこととなっていたのは、孝明があの時に何のメッセージも佑香に残してくれなかったことだった。コンサートなんかには行きたくないとか、或いは佑香に今さら会いたくないとか、それが例え当時の佑香にとって厳しいものであっても無視されるよりもよかったのだった。

仕事のことそして突然目の前に現れた孝明のことについて、日々佑香の心は揺れ動いていた。それでも少なくとも孝明のことについて佑香は、偶然な出会いの中で自分なりに決着をつけるべき時だと考えていた。

更新日:2017-02-07 07:13:04

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