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(一)

ある晴れた昼下がり。初夏のころに感じたままで忘れていた爽やかな風が、またこの街へ舞い戻ってきていた。私は風呂場にいた。たっぷりと水をたたえた浴槽に浸かりその便箋を開封しようとしていた。その手紙はここからほど近い郊外から来たものであった。その翌年には小学三年生になる当時8歳の甥の、その長手紙の書き手は、実に私が恐れてやまぬところであった。早熟の機知と才気とは、これまでの歴史において、数々の人間がいる。彼はまがうことなく、その類であった。殊にそれは言語学において著しかった。彼はその歳にして8ヵ国語がペラペラ、旧約や新約なども原文で読んでしまえるほどである。彼の小学校入学の式で彼に会った時であった。私は彼の父親(つまり私の兄弟)から彼について知らされていたので、彼のことを興味本位で試したことがある。私は彼のために暗唱してきた句を、以前から良く知っていたかのようにこう聞いた。「ヨハネの...ええと...福音書4章32節知ってるかな?」彼は私の意図がわからなかったのか口をヘの字にすると、表情を変えずにこう呟いた。「クァ・グノーセステ・タフミ・イリフィアン・クァ・イリフィア・エレフェロォシィ・ミィッシィグマ。」そのとき私はそれがギリシア語であること以外に何もわからなかった。私があまりの驚きに当惑していると、「おうい、行くぞお。」と少女が可愛らしい声で叫ぶのを聞いた。どうやら、その叫びは彼に向けられたものらしかった。それを聞くと彼は茶色いカーディガンの左のポケットから紙きれと鉛筆を取り出した。彼は紙きれになにやら書くと私の手にそれを握らせた。彼からニコりと笑いが零れた。そして彼は「行かなきゃ。」と言って私のもとから去っていった。彼が手を振ったので、私も振り返した。その去っていく後ろ姿の華奢な背中が妙に可愛らしかった。手の中でくしゃくしゃになった紙きれを拡げて目をおろしてみた。それはとても判読しにくいが、とても丁寧なギリシア文字でこう書き記されていた。『καὶ γνώσεσθε τὴν ἀλήθειαν, καὶ ἡ ἀλήθεια ἐλευθερώσει ὑμᾶς.』突然、不気味な感覚に襲われた。式場である体育館を逃げるようにして出て裏門を抜けて、止めてあった自分の車に急いでエンジンをかけた。まるでそれが死活問題であったかのようであった。車をトップギアにいれ、地獄の蝙蝠よろしく車を市内の図書館までふっ飛ばした。道はよくすいていた。図書館でギリシア語の資料をどっさり借りて、図書館の読書室にこもって紙きれに書いてあったそれを翻訳してみた。するとやはりそれは、私が彼に言わせたかった「そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。」という句のようだった。また彼が私に発したギリシャ語もその発音をするようであった。しかしながら、それは問題ではなかった。それは4章ではなく、8章であった。このとき、私は背筋が凍るのを覚えた。こういうわけで、私は彼を非常に恐れてやまないのである。しかし、この毎週のように届いた彼からのこの長手紙、私はこれが好きであった。なぜならば、彼は話すぶんには非常に難解で理解しがたい語彙をもちいて、これまた難解な隠喩を含ませ、およそ彼の年頃が話すようなものとはかけ離れているが、文章を書かせると、およそその年頃らしい言葉をつかうのである。これまた奇妙なことであるが、とにかく私は好きであった。そして私の興味を惹かせるものでもあった。私は大学で言語学の研究をしている。彼を見ていて、私は発話と作文について両者についてはべつべつの知覚が関わっているのではないかという仮説を持った。卒業論文はそれについて書こうと思っている具合である。さて、私がいま頭を悩ませながら、このような散文を書き繕っているのは、あのうららかな夏の日、自宅の風呂場で読んだ彼の長手紙、これが理由である。私これを見る読者に、私をそうさせた彼の長手紙がここに収録されることを約束する。ここに紹介されるものを除いて、それは全126編、毎週1遍郵送され、実に2年間以上に渡るものであった。それは97年末ごろに始まった。私は彼があまりに突然それを始めたので、その由を尋ねたことがある。回答は実に単純にして明快であった、「茶封筒がすきだから。」

更新日:2016-12-30 19:10:26

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