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小説

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雪をかき分け家路を急ぐ。
慣れているとはいえ、冬のロシアの寒さは亡命していたドイツをはるかにしのぐ。
手袋をしていても凍るようだ。

いくつもの路地を抜けて自宅のあるアパートの階段を駆け上がった。
玄関のドアを開けると妻のユリウスが輝くような笑顔を向けてくれる、はずだった。

「?いない・・」

ユリウスがいないだけで、がらんとした室内。確かに昼日中に帰ってきたのだから在宅していないこともあるが、期待をしていたから余計に落胆する。

コートを脱いでリビングの椅子に放り投げるように背もたれにかけた。

「買い物にでも出たか」

台所に行くと、コンロの上に鍋がかけてある。ふたを取り中をのぞくとシチーが煮込んであった。

「あいつ、どこに行った」

暖炉の火は落ちている。灰をかき出し、新しい薪をくべて火を起こした。
燃え上がる火を見ながら、ユリウスを待つ。
オレンジ色の火はアレクセイの顔を照らすように燃え上がった。

こうして彼女を待つことは珍しい。たいていはユリウスがアレクセイを待つ。ほんのりと部屋が暖まったころ玄関の扉が開いた。

「アレクセイ、帰っていたの?」

暖炉の前に座り込むアレクセイに声をかけた。

「おう、お帰り。さむかっただろう、ここで暖まれ」
「ただいま。珍しいね、こんなに早いのは」

コートを着たまま暖炉の火に手をかざし、隣にいるアレクセイに視線を向けた。

「冬になると食材が少なくなるから大変だね。あらかじめ保管をしているけど、それも限界がある。もう少し食材が出回るといいのだけど」
「冬は餓死者だけでなく、凍死も増える。体力の少ない病人や老人、子どもがその犠牲になる。やりきれない」

視線を隣に座るユリウスから暖炉の炎に向けた。
路上で生活を余儀なくされる民衆もいる。多くはそういう者たちから犠牲が出る。
すでに路上生活者がかなりの数、凍死していた。
ユリウスもその姿を何度も目撃している。力なく横たわる体の上に容赦なく雪が積もり、凍る。おそらく食事もまともに取れていない状態だろう。あっという間に寒さが命を吸い上げていた。

あの屋敷の中にいた時は、何一つ見えなかった市民の生活。自分自身がその中に入ることで、いかに緊迫した状態で暮らしている民衆がいると思い知らされた。

「こうして暖炉の火があるだけ幸せだね」

ぽつりとつぶやいたユリウスを見つめる。彼女は膝を抱えて炎を見ていた。

「3日前からイレネのところのイワンが熱を出したの」
「おまえの友達だって言ってた?」

小さくうなずいた。

「今日も行ってきたんだけど、熱が下がらないの。お金がないから医者にも診せてやれないってイレネが泣いて・・・」
「同志の中に医学部を中退した奴がいる。正式な医師じゃないが頼んでみようか?」
「ほんと?」

パッと顔を上げて隣の夫を見る。

「薬もないから診せるだけになる。しかも、徒労に終わるかもしれないぞ、いいか」
「うん、お願い!どうしたらいいか分からなくて。ありがとう!」

アレクセイに飛びつくように抱きついた。

更新日:2017-04-01 15:28:02