• 9 / 9 ページ

哀しい生い立ち

僕、(・・・あれは小学校中学年だったか)心にイナズマが走った事があるんです。
それはそれは例え様もないくらいの、衝撃でした。僕はその時、ある人に存在否定をされ、衝撃を受け、悲しみに暮れました。そしてその時から、僕の心には、ある感情が芽生え、今に至るのです。
反骨精神。
悔しかった。存在否定をされ、悲しかった。そして怒った。今思えば、あの時から、僕の人生の悲しいシナリオは、始まっていたのだ。
笑う事を禁じた。笑顔すら隠した。感情の一切を、心に秘めて生きてきた。
それが積もりに積もって、十六年間我慢し続けた。そしてその時を迎える。
脅迫的殺人衝動。恐ろしい事です。僕はその時期、この世のアリトアラユル負の念を吸収し、心が黒く、ヨドンデいました。僕のレベルまで到達した人は、おそらく、日本中でも、何人も居ないのではないかと、悦に浸るほどのレベルでした。肉体の苦しみなど、微々たるものです。心の辛苦。これがこの世の苦しみです。肉体の苦しみも、突き詰めてみれば、心の辛苦である事が、自ずと分かって頂けるでしょう。
僕は生きています。苦しみを超えました。ある人生の敗北者がいます。人生に疲れた、と。生きていても仕方がない、と。本当にそうでしょうか?あなたは限界を限界と決めつけて、自分が狂うほど・・・自分が壊れて自分でなくなってしまうほど、何かをしたのでしょうか?何かを失ったのでしょうか?自分が死ぬ時は、自分が決めるのではありません!天が、宇宙が、何かが決めるのです。そして、本当に楽になりたいのなら、今までの無意識レベルで自分がしてきた、人へのツケを払うべきです!人に誠実に、優しく、振舞うべきです。そしてその中で、今までのツケを清算し、苦しむべきです。僕は、うすうす気づいています。世の中の、苦しんでいる人の多くは・・・・。

今まで人に悪い事をしてきた悪人です。

無意識でしていても、している事は悪い事です。
主婦たちの集まりがあります。
主婦たちは話をしています。”酷いわね、あなたの旦那さん、あなたに手を挙げるなんて・・・。しかも幼い息子にまで手を出すなんて・・・。”
そうでしょうか?その旦那さんは本当に酷い人なのでしょうか?本当に酷いのは、その可哀そうな旦那さんと、その人に携わっているその奥さんの話を聞いて、助けてあげないその人ではないでしょうか?

悪い事を悪いと言う人がいます。良い事を良いと言う人がいます。そうです。その通りです。しかし深く考えていけば、本当に良い事とは悪い事をしない事です!そして本当に悪い事とは良い事をしない事です。人が悩んでいるのを見て、話を聞いてあげない事です。人が苦しんでいるのを見て、助けてあげない事です。無関心にもほどほどにです。進んで良い良い事をするべきです。
では、何をすべきでしょうか?やり方は色々とありますが、あなたのレベルで、あなたが良いと思う事をです。そこには苦が伴います。しかしそれが、人間性なのではないでしょうか?それこそが人の美であり、その人の重みなのではないでしょうか?助けられる、助けられないではありません!助けようとする気持ちがあるかないかです。僕はこの頃そう思おっております。
苦しみを苦しめるのなら、何故その貴重な体験を生かさないのですか?
何故、人の苦しみを察するまでに、転じないのですか?
苦しみに耐えるほどの強さがないのなら、何故、鍛えていかないのですか?何故、自分を高めないのですか?遊んでいる時間なんてものはありません。
最後に、苦しみを自ら作るのも、勉強のうちですが、業(カルマ、苦しみ)を作らない様にすれば、後は楽です。残った(今まで作った)苦しみを、苦しみがなくなるまで、嘗(な)め続ければ(味わい尽くせば)、もう苦しみなんてものはありません。全てなくなります。
そこからではないでしょうか?まず、そこからではないでしょうか?

以上です。

p,s 最近僕のこのサイトの小説の閲覧数が減っていくのは何で~~~?

更新日:2017-03-19 04:59:35

  • Twitter
  • LINE
  • Facebook

変わり者であると言う事に喜びを感じる僕と言う人間について