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瑠美の秘密

「先日、お勤めで城に上がったので、朋輩に瑠美殿の様子を尋ねたら市井に下ったと聞いて肝を冷やし申した」
「御免なさい、心配かけて」
「いや、無事ていてくれたなら何より。して、これから如何なさる?」
 先程の流血、それは遅すぎる初潮の証であった。三越の母もそうだが、稀に鸛を出た後に御徴が来る者がいる。この場合、鸛に帰るも、このままの暮らしをするも本人の自由であった。
「如何も何も、あそこには帰らないわ」
「左様か…瑠美殿が良ければ、家に来ぬか?養女になるもよし、ならぬもよし。このような危険な目に遭うこともない」
 花崎の申し出に、瑠美は黙って首を振る。
「…花崎様、もう兄様に縛られずとも良いと思います」
「瑠美殿?」
「兄様が死んでから、十年経ちました。兄様が頼んだのでしょう?花崎様に私の将来を。花崎様のおかげで無事成人し、一人で生きて行けるようになりました。どうかもう、花崎様も自由になってください」
 兄の恋人である花崎は、事あるごとに頼まれていたはずだ。いつか自分が逃がす妹を助けてやってくれと。この人は自分を鸛まで送り届ければいいだけなのに、四季折々の便りを寄こし、仕事で城に上がった時は必ず自分を訪ねてきてくれた。自分と関われば兄を思い出し辛いだけだろうに。
「私が好きでしているのだ。それに、あれの遺体はまだ見つかっておらぬ」
 首を振る花崎に、瑠美は口を開く。
「あれだけの火事です。判別のつかぬ遺体も山のように出たでしょう。それに、花崎様もご存じのはずです。火元は村長のお屋敷で本来なら村中が焼けるような火事に発展する程じゃなかった。なのに何故村ごと炎に包まれたのか」
 そう、最初火柱が上がったのは村長の屋敷だった。そこから次々と村からの逃げ道を塞ぐように火柱が上る。それは兄が火を点けて回ったからに違いなかった。たとえ生き残っていたとしても火付は死罪。例外はない。最も、兄が生き残っている可能性は万に一つもなかった。
「村の抜け道は兄様が次々と火をつけて回りました。出入口は私が逃げた、村の入り口だけ」
 それも最終的には火を点けられた。そこに火を点けたのは私。
結果として、兄を含む村人全員の命と引き換えに瑠美は今の人生を手に入れたのだった。
「新は最初から自分の命と引き換えにそなたを救おうと決めていたのだ」
「花崎様にとって私は大事な恋人の命を奪った憎い女なのではありませんか?」
「恋人か…それは少し違うな」
 花崎は淋し気に視線を落とす。
「某は確かに新を愛していた。だが、新の方はそうではない。瑠美殿、そちを逃がす為に某の相手をしていただけなのだよ」
「そんな…」
「もちろん、嫌われていたわけではないだろう。だが、そちのことがなければあれほど親しくしてくれたとも思えぬ」
 それでも良かったのだ、新が生きていてくれるなら。そう花崎は呟いた。
「それにしても瑠美殿は新によく似ている。目元など新そのものじゃ」
 兄を忘れられぬ花崎にとって、自分は兄を思い懐かしむ姿絵のようなものなのだろう。この顔が少しでも花崎の心を癒せればいいと思った。
「花崎様、私は時々思うのです。兄様は実は父様だったんじゃないかと」
 私以降、母は子を産んでいない。あの情事を垣間見た時の母はお世辞にも若いとは思えなかった。お勤めはたとえ子を孕めなくなったとしても死ぬまで続けられる。もし母が私を産んだのでないとしたら、実母は誰か。心当たりは私が物心つく前に亡くなったと聞かされた姉だ。母と同じくお勤めをしていたのか、それともお勤め前に秘密裏に兄と通じて私を孕んだのか。今となっては憶測に過ぎないが、兄が父だったのでであれば命を懸けて私を救い出してくれたことも納得がいく。
兄が村に火を点けた日、村中の男が村長の家に集まっていた。それは母が亡くなったからだ。おそらく、まだ御徴が来ていない自分の処遇を皆で話し合っていたのだろう。そして、子を孕める年齢でなかった自分にお勤めをさせることが決まったに違いない。
 だから兄は村に火を点けたのだ。私を村から逃がす為に。
 兄は最初から私と逃げるつもりがなかった。いや、一緒に逃げるのは不可能だと考えたのだろう。あの火柱が別れの合図だと察したとき、涙が止まらなかった。数日前に兄がくれた守り袋の中には火打石が入っていた。これは、逃げる時に村の入り口に火を点けて追手を遠ざける為に使うよう考えての事だろう。当時、字の読めなかった自分が意図を察してくれると信じて。

更新日:2016-07-10 14:24:10

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