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御役御免

 この世の中はたくさんの男と少しの女でできている。
 この村にいる女は私と母さんだけ。
 私の名は『小姫』
 私が産まれてからすぐに死んだ姉さんも『小姫』
 母さんの名は『姫』
 でも私は知ってる。私が母さんと同じお勤めをする頃には『姫』と呼ばれることを。
 男たちが優しくしてくれるのは私がまだ子供だから。御徴が来れば、私も母さんのように村中の男に夜毎喰らい尽くされるのだ。自由もなく、自身の意思とは反してただただ村の男達に翻弄されるだけの日々が死ぬまで続く運命。だから私はこの村の男が大嫌いだった。
「小姫、こんなところにいたのか?」
「だって兄様、今日はお役人が村に来る日なんでしょう?」
 年に二度、村にお役人がやってくる。養子になった子の生存数の確認に来るのだ。この村には私も母さんもいないことになっている。だからお役人に見つからないように隠れていなければならない。
「小姫は敏くて聞き分けがいいなぁ」
 そういって兄は小姫の頭を悲しそうに撫でた。
「もっと我儘言ってもいいのに」
「兄様は私がお役人に見つかった方がいいの?」
 聞き分けがいいことを残念そうにする兄に、小姫は首を傾げながら聞いた。
「お前の将来の為にはその方がいいと思っているよ」
「小姫の将来?御徴が来たら母さんみたいな目にあうこと?」
 物心ついた時から母は自分の前に姿を現さなかった。夜毎、風に乗ってくるのは獣のような唸り声と甲高い鳴き声。一度だけ、母恋しさに夜の勤めの様を障子越しに覗いたことがある。恍惚の笑みを浮かべ、腰を振る母の瞳には何も映っておらず、母にのしかかる男は発情期の猫のようにただひたすらに腰を振っていた。欲望だけが渦巻く光景に恐れ慄き悟った。母はもう、自分のことなどわからぬほどに壊れてしまっていた事に。
「…お前は本当に敏い子だ」
 兄はぎゅっと小姫を抱きしめる。その腕は心なしか震えていた。
「なんでみんな、あんなことができるんだろうな……」
「兄様は女の人がお嫌いなの?だから母さんじゃなくて村を訪れるお役人と睦みあいになるの?」
「…見たのか?」
 大きく目を見開く兄に、小姫はこくりと頷く。年に二度、村を訪れるお役人。そのお役人といる時、兄はひどく幸せそうだった。
「そうか…小姫には何でもお見通しだな」
 何かにつけて自分を気にかけ、甘やかしてくれるこの兄が小姫は大好きだった。
「男は嫌い、みんな大っ嫌い。だけど兄様だけは好き」
「そうか」
 暫く黙った後、兄はぽつりと言った。
「小姫、約束しようか」
「約束?」
「俺はお前を母さんと同じにはさせない。必ずこの村から逃がしてやる」
「兄様も一緒?」
「俺と一緒じゃ目立ちすぎる。小姫、お前一人で逃げるんだ」
「小姫一人?」
「ああ。俺がお前に合図を送る。お前になら必ずわかる。その合図を見たらお前は一目散に村から逃げるんだ。村を出たら…そうだな、峠を目指すといい。きっとお前を助けてくれる人がいるよ」
「一緒じゃなくてもいい、兄様も後から小姫を追いかけてきて?そうすれば兄様だってあの人と一緒になれるでしょう?」
「…小姫は本当に優しい子だな」
 兄は愛おしそうに頭を撫でるが、それ以上の約束はしてくれなかった。
「村から出た後に名乗る名前を付けよう。小姫じゃ余りにもかわいそうだからね。何か希望はある?」
「兄様がつけてくれるなら何でも嬉しい」
「瑠璃色の瞳が綺麗だから「瑠美」にしよう」
「るみ?」
「嫌か?」
「ううん。可愛い名前。小姫よりずっといい」
 るみ、るみと忘れぬよう、口をもごもご動かして何度も復唱する。いつか使うことになる新しい名前。それが何を意味するのか、小姫が知るのは二年後の事だった。



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更新日:2016-07-10 14:10:30

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