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小説

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第3話 少年の日々~モーツァルトバイオリン・ソナタK.304

挿絵 500*667

【Photo: gq.com】



奴は一人で弾くことを好んだ。

バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータは、奴の得意だった。この6曲の美しさと宇宙的な広がりは、言葉に表せない。難しい曲だが、奴は少年の頃から堂々と弾きこなしていた。無伴奏が好きなのは、音楽が素晴らしいのに加えて、自分のペースで自分の思いをのびのびと音楽に表現できるからだろう。学内演奏会でも、いつもバッハの無伴奏の6曲のうちから1曲を選んで弾いていた。学内演奏会に、生徒や家族だけでなく、評判を聞きつけた街の人たちも聴きに来ていた。

しかし、ある時、教師からモーリッツの伴奏で弾くよう指示された。ヴァイオリン科一の生徒の伴奏をモーリッツにさせたいということで、どこからか圧力がかかったらしい。曲目も、ピアノの出番が多いモーツァルトのヴァイオリン・ソナタだ。ヴァイオリンのパートには、難度の高い技術を必要とするような見せ場があまりない。奴は、憤慨していた。

僕は、あまり人の好き嫌いがないが、モーリッツは苦手だった。奴も同じだったようだ。街で一番の金持ちとかいう家を鼻にかけて、子分を引き連れているのがいかにも醜悪だった。キッペンベルク商会なぞ、父の会社から見れば吹けば飛ぶようなものだが、僕の家のことを知っているのは校長先生だけだった。
今思えば、奴もロシアの大貴族の出身だから、ドイツの田舎町で展開される騒動は内心馬鹿らしく感じていただろう。しかし、大人の権力争いに巻き込まれるのは、立場上、得策でないと判断したのに違いない。結局、教師の指示に従った。

その後、イザークが転入するまでは、モーリッツの伴奏でモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを弾いていた。奴はよく練習をさぼっていたらしいが、モーリッツのピアノがそれなりにうまかったこともあり、演奏会の時にはきちんと仕上がっていた。しかも、いつもの奔放なヴァイオリンとは違って、正確かつ端正で美しい演奏だった。モーツァルトはあらが出やすい。奴は、ヴァイオリン弾きとしてやっぱり本物だったのだろう。

更新日:2016-10-16 18:02:38

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