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帰るとすぐ、父が書斎で呼んでいるという。居間ではなく書斎だ。珍しいことだった。

重い木の黒い扉を押し開けると、部屋の真ん中に、大人でも抱えきれないほどの大きな地球儀と、ブリタニカの分厚い世界地図帳が鎮座している。本棚には、僕の蔵書とはまったく違うタイプの本、経営や事業に関わる本が並んでいるが、そう多くはない。むしろ、世界各国の政府高官や有力者からお土産にもらったさまざまな文物が並ぶサイドボードの方が目立っている。オスマン・トルコのパシャからもらった大きな飾り皿、インドの藩王が持ってきた象牙の彫刻、清の大使からの翡翠の置き物、日本のバロンがくれたという繊細な螺鈿細工の入った漆の文箱、そして、ロシアの高官からもらった宝石がちりばめられた金細工のイースター・エッグなどがずらりと並び、床には、ペルシャのシャーから贈られた手の込んだ絹の絨毯が敷かれていた。

僕は、子どもの頃、この部屋で父から一つひとつ説明をしてもらい、見知らぬ遠い国に憧れを抱いたものだった。しかし、音楽学校に入った頃から、父とそりが合わないこともあって、ずっとこの部屋から足が遠のいていた。

父は、会社の執務室とは別に、ここで部下から事業の報告を受けたり、内密の打合せをしたりしていたので、この部屋には、黒光りする革張りの大きなソファや椅子が並んでいた。そのうちの一つの大きな肘掛け椅子が父の指定席らしかった。父は、そこに深く座り、テーブルの小箱から葉巻を取り出して火をつけた。

葉巻の強烈な香りが漂う。

「おまえも、来年の夏にはいよいよ卒業だな。そろそろ卒業後を見据えて、いろいろな基礎知識を身につけた方がよい。この夏は、ロンドンで経済や金融の基本的な仕組みを学んでもらおうと思っている。ロンドンは、世界の経済と金融の中心だから、その雰囲気に馴染むのもよいだろう。ロンドン支社長に、2週間くらいのプログラムを組むよう頼んでおいた。」

一方的な通告だった。父は、僕を跡継ぎにすることをまだあきらめていなかった。その時の僕は、それに反論し、抗う材料を持ち合わせていなかった。それが我ながら情けなかった。

父が僕に望んでいることを拒否するためには、それに代わる自分の進むべき道を見出すことが必要だということはわかっていた。しかし、僕は、その時、それをまだ見つけられないでいた。僕は、自分の内でもがいているうちに、外からだんだん目に見えない鎖が巻きつけられていくような気がした。時間切れのなかで、生まれた時から課せられていた重荷を背負って歩まざるを得ない自分。悔しかった。

僕が両膝の上でこぶしを握りしめて下を向いて黙ってしまったのを見て、父は、「クラウスも一緒に誘ったらどうか。」と言い出した。奴がロンドンに行ってみたいと言っていたのを、父は覚えていた。奴と一緒なら僕が承知すると思ったのか、それとも、嫡男の重荷が肩に食い込んで背負いきれない僕を少し不憫に思ったからなのか。

僕は、夏のロンドン行きをしぶしぶ承諾した。

その晩の夕食の献立は、僕の好物だったが、まずく感じた。
父は上機嫌で、母にロンドン行きの話をした。
「イギリスの青年は、学業を終えると、グランド・ツアーとして、フランスやイタリア、ドイツに旅行をして、芸術に触れて見聞を広めるそうだが、おまえはその逆だな。今までさんざん芸術の世界に浸っていたからな。これからは、イギリスに行って見聞を広める『逆グランド・ツアー』だ。」

母は、好き放題言っている父の方を見ようともせず、しばらく僕の顔をじっと見ていたが、「いずれにしても、いろいろな経験をすることはいいことね。」とだけ、短く言った。

更新日:2016-09-03 07:09:09

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