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小説

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第4章 トボリスクのバラード



あいつのお腹もだいぶ大きくなった。

ミハイロフの屋敷の大広間にあるベーゼンドルファーのピアノが気に入ったらしい。

ピアノを弾きながら、時々からだを休めることができるように、そばにソファを置いてもらった。ソファに座って、あいつをおれの膝にのせると、おれの手を取ってお腹にあてる。

胎動を感じる。

「さすがにベートーヴェンのアパショナータ(ピアノ・ソナタ第23番「熱情」)なんかは弾いていないんだろうな。」
「え、弾いているよ。」と、おまえはけろっとして言う。

「お腹の中でも赤ん坊の耳は聞こえるらしいぞ。ほら、第1楽章の最初のウンジャ、ウンジャとフォルティシモで両手の和音が繰り返し上昇していくところは、強烈すぎてまずいんじゃないのか。」
「そうかなあ。気持ちよさそうにお腹を蹴るけど。」
やっぱり女はわからん。

そもそも、自分の体の中に、自分ではない生き物が棲息しているってどんな感じなんだろう。想像もつかない。

おまえは続ける。
「本当に不思議だよね。自分が哺乳類だってことを実感するんだよね。」
うーん、ますますわからん。

「ショパンのバラードの1番もよく弾いているよ。」
「あれもコーダは激しいから、そろそろやめておいたほうがいいんじゃないか。」
「そんなこと言っていたら、弾ける曲がなくなっちゃうよ。」とふくれている。

「それじゃあ、今日は、バラードをおれが弾いてやるよ。」

曲の冒頭から3ページとばして、メーノ・モッソ(速度を緩めて)で優しいメロディを歌うところだけ弾いた。

懐かしい旋律。二重の意味で。

春の宵に、あの音楽学校の寄宿舎のピアノで弾いたこと。
あの頃、おれは、いつも遠くからおまえの姿を追っていた。おまえに触れたくて気が狂いそうだった。

それから、もうひとつ、別の意味でも懐かしい旋律。ママンのこと。


更新日:2017-02-14 22:41:53

ショパン・バラード第1番 オルフェウスの窓ss Op.4