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 でも、あの頃の瞳の輝きも見事な金色の髪もそのままだ。怜悧な顔立ちが一層際立って、ますます美しくなった。

 さっきおまえが何気なく髪をかき上げたときに見えた、耳の後ろのほくろ。白くきれいな首筋にただ一つだけの小さなほくろ、あのほくろをおれは知っている。ずっとおまえの姿を目の端でひそかに追っていたあの頃、あのほくろに口づけして、柔らかい耳たぶを口に含みながら抱きしめたいと思っていた。今でもそう思う自分が確かにいる。
 ただ、シャツの胸元からのぞく柔らかい白い肌、あの時、おれの涙をなぞった肌に、昔にはなかったほのかに匂い立つ色香がある。それがおれを戸惑わせる。ほとんど気が違いそうだ。年齢相応なのか、それとも奴の愛撫によるものか。

 おれの夢の中に現れるおまえは、いつも天使のように透明で清らかな乙女の姿だ。可憐な花が咲き乱れるバイエルンの美しい緑の丘で、クリームヒルトの衣装を肩から落とすと、おまえは、小さな胸を手で隠して、こちらをじっと見つめ微笑んでいる。
 おれは静かにおまえの冷たい繊細な手を取る。それから両手で頬を包んで優しく口づけし、滑らかな背中をなでおろしていく。
 草むらに横たわらせて熱くなったおれの手のひらで白い乳房を包み、薄桃色の乳首に舌を当てる。細いからだと腰を抱きしめる。そして、おれも生温かくしっとりと包まれて夢のなかにたゆたう。

 おれはそんな夜をひとりで何年も何年も過ごしてきた。ドイツで熱く苦しい思いを抑え込んでいたときも、シベリアの冷たいベッドで凍えるからだのなかで一点だけ熱いものを抱えていたときも、そして、この白夜の街でなまめかしく明るい夏の夜を過ごすときも。いつもバイエルンの光のなかで輝くおまえの白いからだがおれの瞼の裏にあった。おまえはずっとおれの女として大切な宝物としておれの中に存在していた。

 それが、今、生身の姿で、それもおれたちの敵に捨てられた女として、記憶もなく、自分が何者かもわからない女として、冬の薄暗い灰色の街でおれの目の前にいる。しかも、おれがあの時言ったとおりに、おれとのことはすべて忘却の彼方。…無残な悲劇だ。

 それなのに、おれの心の奥底は、おまえを激しく求めている。なぜだ。
 今日、目の前に立ったおまえの紅い唇、その柔らかさをおれは知っている。白い首筋、細い手首、美しい指先、すべてを優しく愛撫し、口づけたいおれ。むしゃぶりついて、すべてを自分のものにしたいおれ。おまえに記憶があるかどうかなど関係がない。傷つけられ、凌辱されたかどうかも関係がない。…やっぱりおれのために存在するただひとりの女だ。

更新日:2016-07-07 23:55:30

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