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惜別

             

クラウスが突然聖ゼバスティアンを去った。一体どうしてなのか、全く事態がつかめない。騒いでいる大半の生徒がおそらく同じだろう。その時意外だったのは、親友と思われているダーヴィトやあのユリウスが、落胆してはいるものの不思議に冷静でいることだった。以前、年明けの休暇から学校に戻らないクラウスを、彼女は度が超すほど心配していたことがあった。もしかしたら二人は、クラウスが退学した理由を何か知っているのではないだろうか。


この一年間、彼のバイオリンの伴奏を務めてきた。並外れた才能を持ち、技術も表現力も学生の域をはるかに超えているクラウスの伴奏に付き合うのは、正直楽ではなかった。うっかり彼のバイオリンに呑み込まれないよう、彼の音楽に自分を持っていかれないよう、踏ん張らなくてはならなかった。それでも、クラウスと一緒にピアノを弾くことは本当に楽しかった。彼が奏でるバイオリンの音と共に自分の気持ちが高鳴るのを、いつも感じた。あんな気持ちにさせてくれるバイオリニストに再び出会うことが、これから先僕にあるだろうか。 


愉快な先輩だったクラウス。彼の軽妙なジョークには、何度も笑い殺されそうになった。でも冗談を飛ばす一方で、一旦集中するといつでも最高の音を奏でられる不思議な人だった。温かくて頼りになり、カリスマ性もあった。ユリウスが惹かれるのも無理はない。彼は何も言わず、黙って学校から去って行った。音楽で通じ合えたと思っていたけれど、僕はどれほどクラウスを理解していたと言えるのだろう。


そう言えば新学年になってから、クラウスはずっと様子が変だった。異常なほどユリウスを避け、というよりユリウスにだけ極端に冷たかった。それは明らかだった。しょっちゅう授業を休んでいたし、そもそも学校にもいなかったらしい。アンサンブルの練習も、彼はほとんど休んでいた。新年度のデュエット初顔合わせをした時も、その日は演奏する曲目を決める日なのに、クラウスはいつもの彼らしくなかった。

「クラウス、今年は何にしますか?」
僕が尋ねると、彼は

「お前、何か弾きたいは曲あるか?別にそれでも俺はかまわん。」

と言ったのでとても驚いた。どんなにふざけていても、音楽に関してはいつでもすごく真摯な人だったのに。こんな適当な彼を初めて見た。結局それからクラウスは、アンサンブルの練習には姿を見せなかった。その後一度だけ一緒に合奏をしたが、それが彼と会う最後になるとは。


クラウスと最後に合奏したその日、デュエットで弾く2、3の楽譜を抱え、僕はレッスン室に向かった。けれども途中ヴィルクリヒ先生に会って課題について注意を受けたため、10分ほど時間に遅れてしまった。レッスン室のドアの前に着いて、聞こえてきた曲を知った時、僕は少なからず驚いた。「ショパンのノクターン!」信じられない…。クラウスがショパンを弾くなんて。ピアノの曲を自分でアレンジしたのか。こんなにも切なく聞こえるとは。その時僕は確信した。彼は誰かを想いながら弾いている、それはユリウスにちがいないと。

 
今まで何度も一緒に弾いてきたのに、こんな演奏をする人だとは思わなかった。心が震えるほど美しいバイオリン。しかし、なんて哀しく響くのだろう。まるで泣いているようだ。哀切せまるバイオリンに心奪われながら、僕はその場に立ち尽くした。




https://WWW.youtube.com./watch?v=q6PvzxAWavc
Chopin, Noctune No.20 cis-moll
[Vn:Mario Hossen/Piano:Ljudmil Petkov]
  

更新日:2018-01-03 00:32:33

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クラウスの旅立ち【オルフェウスの窓ss Ⅰ 】